専門家コラム「自社に関わる人を大切にしてウェルビーイング(Well-being)を高めるには」(2023年7月)
1. ウェルビーイング(Well-being)とは
ウェルビーイングとは日本語で幸福と訳される言葉ですが、最近では身体的にも精神的にも社会的にも健康な状態を表す概念として認識されています。これは、世界保健機関(WHO)憲章における健康の定義で、公益社団法人日本WHO協会が訳した「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」の原文中に、Well-beingという言葉が使用されたことが元になっているとされています。
ウェルビーイングな状態をどのように捉えるか、測定するかについては様々な見方があります。例えば、アメリカの調査会社であるギャラップ社はウェルビーイングを構成する要素として、次の5つを定義しています。
(1) キャリアウェルビーイング
自分の時間の大半を占めることを楽しんで取り組んでいる。
(2) ソーシャルウェルビーイング
信頼からなる良好な人間関係を持っている。
(3) フィナンシャルウェルビーイング
経済生活を管理し安定している。
(4) フィジカルウェルビーイング
心身ともに健康で、日常的な活動に対する十分なエネルギーがある。
(5) コミュニティーウェルビーイング
地域社会などのコミュニティに貢献するとともに、つながっている感覚がある。
一方、アメリカの心理学者、マーティン・セリグマン博士は以下の要素を定義しています。
(1) P (Positive Emotion)
うれしい、楽しい、感謝などのポジティブな感情を持つこと。
(2) E (Engagement)
仕事や趣味など様々な活動に没頭していること。
(3) R (Relationships)
利他的に他者と助け合い、良好な人間関係を築いていること。
(4) M (Meaning)
人生の意味や目的を意識し、社会に貢献できるかを考え行動していること。
(5) A (Achievement)
目標を持って達成に向け努力し、達成すること。
また、慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長の前野隆司教授は幸せの4つの因子として以下を提唱しています。
(1) 「やってみよう」因子
自己実現と成長の因子。自分の強みを活かし、やりがいを持って主体的に目標に向けて取り組むこと。
(2) 「ありがとう」因子
つながりと感謝の因子。利他の心や思いやりを持っていること。
(3) 「なんとかなる!」因子
物事を楽観的にとらえ、自己受容ができていること。
(4) 「あなたらしく!」因子
他者に左右されず、自分らしく生きること。
以上からウェルビーイングな状態には、自ら設定した目標に向かって、ポジティブな感情で自律的に行動し、困難を乗り越え、他者への協力や貢献を実感しながら、良好な人間関係を築いていることがあると考えられます。
2. なぜ、経営にウェルビーイングが求められるのか
近年、社会的にウェルビーイングへの関心が高まっています。政府は、「世界的にGDPだけでは捉えきれない幸福や満足の全体図を解明し、政策の改善に役立てていこうとする試みが活発化している」としてウェルビーイングを見える化し、政策運営に活かそうとしています。2021年6月に発表された政府の成長戦略実行計画では「国民がWell-beingを実感できる社会の実現」が掲げられ、骨太方針2021においても「政府の各種の基本計画等について、Well-beingに関するKPIを設定する。」ことが掲げられました。これを踏まえて、関係府省庁が連携してウェルビーイングに関する取組を推進するため「Well-beingに関する関係府省庁連絡会議」も設置されました。
社会的にウェルビーイングが求められる中で、企業経営にもウェルビーイングが求められています。例えばトヨタ自動車はミッションに「幸せの量産」を掲げて、ウェルビーイングの研究を始めています。経営環境が早く、激しく変化する状況で、業績を安定させ企業を継続するには、企業にかかわる人々のモチベーションを高め、新たな市場を創造できる人材を確保することが不可欠です。それには企業にかかわる人々のウェルビーイングが重要になります。
ダイバーシティ&インクルージョンや少子高齢化、働き方改革の進展などにより、企業経営には共感できる理念やパーパス(存在意義)を明確にして経営戦略を策定するとともに、人材戦略の在り方が問われることになります。そのような中、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方として、人的資本経営が注目されています。
人的資本経営では、人材に投じる資金を価値創造の投資と捉えるため、従業員の能力や成長を最大限に引き出し発揮させる必要がありますが、その一つの要素とされるのが従業員エンゲージメントです。従業員エンゲージメントは、2020年の「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書」では「企業が目指す姿や方向性を、従業員が理解・共感し、その達成に向けて自発的に貢献しようという意識を持っていること」とされます。この報告書の中では日本の従業員の従業員エンゲージメントが6%と世界的に低い一方、従業員エンゲージメントと営業利益率、労働生産性には相関関係があることが示されています。
さらに、2022年の「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書」では、「健康経営への投資とWell-beingの視点の取り込み」として、エンゲージメントを向上するにはウェルビーイングが重要であるとされています。その中ではウェルビーイングを高める工夫として、経営陣が「企業の状況に応じて、多様な人材が能力発揮できる環境の整備や、自律的なキャリア形成の促進等の試行錯誤を重ねる」ことが示されています。
したがって、エンゲージメントを高めるため、従業員がやりがいや働きがいを感じ、主体的に業務に取り組むことができる環境を整備する必要があります。それには、心理的安全性の高い環境が不可欠になります。心理的安全性は「チームは対人リスクを負っても安全であるというチームのメンバーが抱く共通の信念」とされ、ハーバード大学のエドモンドソン教授が提唱したものです。
Googleの「効果的なチームとは何か」の研究では、真に重要なのは「誰がチームのメンバーであるか」よりも「チームがどのように協力しているか」であるとして、心理的安全性をチームの効果に影響する重要な因子としています。心理的安全性が高ければ、他のメンバーにネガティブに受け止められる可能性のある行動をしても大丈夫と信じられる関係の中で、失敗を恐れずに挑戦し、リスクを取ることに不安を感じず、自律的に行動できます。
3. 人を大切にする経営でウェルビーイングを高める
人を大切にする経営とは、人を大切にする経営学会によれば「人、とりわけ社員等の満足度や幸せこそ最大目標であり最大成果と考える」経営とされています。自社に関わる人々の幸せを追求・実現することが、自社への愛情やエンゲージメントを高め、結果として業績向上や成長・拡大等がもたらされるという人間本位の経営です。ここで自社に関わる人々とは以下の5人を指します。
(1)従業員とその家族
従業員とその家族は最初に大切にしなければならない人々です。従業員は顧客が幸せになるとともに感動する商品・サービスを創造します。そして、家族はその従業員を支える存在です。
(2)仕入先・外注先とその家族
仕入先・外注先とその家族は社外で自社に協力し、仕事をしてくれている人々とそれを支える人々です。そのため、社外社員ということもできます。自社の仕事をしているため従業員の次に大切にすべき人々です。
(3)顧客
ここでの顧客は現在の顧客と未来の顧客で、自社の存続を決定します。顧客が従業員の創造する商品・サービスで幸せを感じ、自社の存在価値を認めるからこそ市場が形成され、業績につながり、企業は事業を継続することが可能になります。また、幸せを感じた顧客は自社を推奨し、新たな顧客を創造してくれます。したがって、顧客は従業員が大切にしなければならない人々です。
(4)地域社会・住民
すべての企業は社会的なインフラ無くして活動することはできません。そのため地域社会や住民への貢献は義務であるともいえます。企業の社会的な貢献が有益であると評価されれば、地域住民から応援される存在になります。
(5)株主
株主は自社に出資し、支援してくれる人々です。株主にとって最も関心があるのは配当金や社会的に評価の高い株式を保有することです。これまでの4人が自社に対して幸せを感じ、貢献してくれていれば株主の満足する結果となります。
人を大切にする経営では、従業員をはじめとする自社に関わる人の幸せを、最大目標であり最大成果であるとしますが、ここでいう幸せとは一時的に感じるようなものではなく、ウェルビーイングな状態のことを指していると考えられます、したがって、社会的にも経営においてもウェルビーイングが求められる中で、人を大切にする経営はウェルビーイングの向上を追求する経営であるともいえるでしょう。
4. 人を大切にするとはどういうことか
人を大切にする経営は、従業員とその家族、仕入先・外注先とその家族、顧客、地域社会・住民、株主のウェルビーイングを最優先として追求する経営ですが、その人達の何を大切にしてウェルビーイングを追求するのでしょうか。ここでは、人を大切にする経営とは、ウェルビーイングを追求して人が大切にしていることを大切にする経営であると定義して、アドラー心理学の立場から考えてみます。アドラー心理学はオーストリア出身のアルフレッド・アドラーによって生み出され、後継者達によって発展した理論です。その目的の一つは人として、どうすれば幸せになれるかにあります。アドラー心理学の考え方に以下のようなものがあります。
(1)共同体感覚
アドラー心理学の中心的な考えとなるが共同体感覚です。共同体感覚とは、人間共同体への協力、所属感、信頼感、貢献感といった感覚のことをいいます。アドラー心理学において、共同体感覚を持つことが精神的に健康で、幸せになるためのゴールとされています。人は一人では生きられず、人と結びついた共同体の中でのみ生存できます。共同体では人がお互いに影響を与えあう関係性にあり、行動も共同体の中でのみ意味を持ちます。
他者に関心を持ち、協力して課題を克服し、他者の幸福に貢献すれば、共同体に所属するみんなの幸せの一つとして自分の幸せを実感できます。個人が共同体に積極的に参加し、成長することが共同体の成長にもなります。共同体にとって建設的で有益な行動が自尊心を育み、人生に意味を与えます。アドラーの言葉に「人生の意味は貢献である」というのがありますが、仕事が共同体の役に立ち、働きがいや仕事の満足感が貢献感につながる人が最も幸せであると考えます。
アドラー心理学では、人の行動には目的と相手役があり、自分自身が設定した目標に向かって行動することを自分で決めることができるとされます。一方、ウェルビーイングな状態には、自ら目標を設定し、それに向かってポジティブな感情とともに自律的に行動し、困難を乗り越え、他者への協力や貢献を実感しながら、良好な人間関係を築いていることがあります。これらから共同体感覚を持つこととウェルビーイングの向上は密接に関係していると考えられます。
(2)ライフタスク
人は対人関係の中で相互に影響し合っています。アドラー心理学では人間関係には3つの絆があり、それによって向き合わなければならない人生の課題(ライフタスク)が生じるとされます。ライフタスクには心理的な距離によって以下の3つがあります。これらは独立したものではなくそれぞれ影響し合っています。
① 仕事のタスク
責任や義務、役割が問われるタスクであり、共同体に役立つのであれば報酬の有無に関わらず仕事とされます。したがって、職業だけでなく、家事、育児、介護、学業、レジャーも仕事のタスクに含まれます。3つのタスクの中で最も心理的な距離が遠く、簡単なタスクとされます。そのため、このタスクに向き合えなければ、他のタスクにもまともに向き合えないと考えられます。
② 交友のタスク
友達や職場の仲間など、他者との社会生活や付き合い方、関わり方のタスクです。仕事のタスクより心理的距離が近いため難しく、他者への関心や互いの信頼、尊敬、協力が求められます。
③ 愛のタスク
配偶者や家族など親密な関係に向き合うタスクです、最も心理的距離が近く、高度な協力や信頼が求められるため最も難しいとされます。
人の数だけ大切にしている人間関係があり、誰もがそのライフタスクに向き合っています。ダイバーシティ&インクルージョンが注目される中、従業員が大切にしている人達とのライフタスクに向き合い、それぞれのライフタスクが達成できるような環境が重要になります。これら3つのライフタスクは共同体感覚を持つことにより達成できるとされます。
(3)勇気づけ
それでは良い人間関係を築き、他者と協力して共同体に貢献できるよう共同体感覚を育てるためにはどのようにすればよいのでしょうか。それにはまず、勇気づけが必要です。ここで勇気づけとは困難を克服する活力を与えることをいいます。
アドラー心理学では人は誰でも劣等感を持っているとされ、その劣等感を補うように人生の目標を設定し、優越感を得るため目標に向かって成長しようとすると考えます。しかし、勇気をくじかれていた場合、目標に向かう途中で克服しなければならない困難な状況を、自分が意味づけした様々な理由からどうにもできないものと評価し、自分に能力があることを信じられず目の前にあるライフタスクを回避しようとします。
勇気づけは弱みや不可能と感じ、マイナスであると信じている状況を、強みや可能であると感じられるプラスの状況に変えることができるようにします。勇気のある人は、何かに依存することなく、自らライフタスクと向き合い、共同体感覚を自律的に育んで解決します。
そして、他者を勇気づけるようになり、次第に勇気づけが連鎖し、共同体感覚を持つ人が増えていきます。勇気づけには以下のような方法があります。
①誰にも強みがあることを認める
人は不完全な存在ですが、誰もが必ず共同体にとって有益になる強みを持っています。自分も他者も不完全であったとしても、活かせる能力や強みがあると信じることにより、自分を受け容れ他者も受け容れられるようになります。
②人として信頼する
信頼は相手の行動に善意を見つけ、無条件で信じてそのまま受け入れることをいいます。信頼し合う関係や友情で育まれた協力的な姿勢は仕事でも生かすことができます。
③人として尊敬する
人には責任や能力、役割、功績、年齢などに違いがあったとしても、人間としての価値や尊厳に違いはありません。同じ人として存在していることについて尊敬し、礼節を持って相手と接することです。
④できていることに注目する
結果だけでなく、目標に至るプロセスに注目し、達成できた成果や成長を認めることです。会社の業績にとってどんなに小さな結果であっても、従業員本人にとっては目標に向かって努力した進歩です。結果が出るまでには時間がかかることもあります。その過程で自分の進歩が価値のないものと感じられれば努力を継続することは難しく、努力が継続しなければ成長も成功もありません。
⑤失敗を受け入れる
失敗は学習の機会であり、課題を克服しようと挑んだ証拠です。失敗を個人と同一視せず、行為と行為者を分けて考える必要があります。
⑥貢献したことに感謝する
感謝を伝えれば感謝が帰ってきます。感謝を伝えられた人が感じるのは、自分の有益な行動によって相手の役に立ち貢献したという共同体感覚です。
⑦相手に共感する
ここでいう共感とは、相手の関心に関心を持つことです。人は誰でも自分に一番関心がありますが、仲間に関心を持つことによってのみ、人間の能力は発達すると考えます。
他者を勇気づける時は、まず自分自身が勇気づけられていることが必要です。勇気づけは相互信頼と相互尊敬の関係があって初めて勇気づけとなります。勇気づけるための特別な言葉があるわけではなく、ただ言葉だけを連ねても相手が勇気づけられることはありません。相手を自分にとって都合のいいように操作するのではなく、同じ目標を持ち社会に貢献する人として、自律的に行動できるよう勇気づけるのです。勇気づけには勇気づける時の態度が何よりも大切になります。
ここでは人を大切にする経営を、ウェルビーイングを追求して人が大切にしていることを大切にする経営としましたが、勇気づけにより共同体感覚を育て、従業員のウェルビーイングな状態を向上させることにより、それぞれの人が多様なライフタスクを達成し、大切にしている人との関係を良好なものにできます。そして、それがさらなるウェルビーイングの向上につながります。
誰もが自分と自分の大切な人がウェルビーイングな状態で、良好な人間関係を築くことを望んでいます。業績を作るのは、自社との関わりによってウェルビーイングが向上し、心理的安全性が高まり、エンゲージメントが高くなった人達です。アドラー心理学を使って始めてみてください。
参考文献
坂本光司 「人を大切にする経営学講義」 2017年 PHP研究所
アルフレッド・アドラー 「人生の意味の心理学 上・下」(岸見一郎訳) 2010年 アルテ
W・B・ウルフ 「どうすれば幸せになれるか 上」(前田啓子訳、岩井俊憲監訳) 1994年 一光社
W・B・ウルフ 「どうすれば幸せになれるか 下」(仁保真佐子訳、岩井俊憲監訳) 1994年 一光社
岩井俊憲 「アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方」 2000年 コスモス・ライブラリー
ルドルフ・ドライカース 「アドラー心理学の基礎」(宮野栄訳、野田俊作監訳)1996年 一光社
富山県ウェブサイト ウェルビーイングの推進
https://www.pref.toyama.jp/100224/wellbeing-toyama.html#wellbeing_indicators
持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書 2020年
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/kigyo_kachi_kojo/pdf/20200930_1.pdf
人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書 2022年
https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/pdf/report2.0.pdf
「効果的なチームとは何か」を知る
https://rework.withgoogle.com/jp/guides/understanding-team-effectiveness/#define-team
略歴
磯山隆志
東京都中小企業診断士協会 中央支部執行委員 総務部副部長 ビジネス創造部員
中小企業診断士 認定経営革新等支援機関 ITコーディネータ ITストラテジスト システム監査技術者 情報処理安全確保支援士 健康経営エキスパートアドバイザー アドラー心理カウンセラー