はじめに
経済産業省が2018年9月にDXレポートを発表してから、もうすぐ5年になります。コロナ禍も加わって、社会のデジタル化は驚くような速さで進みました。中小企業にとっても、デジタルを使って製品・サービスや社内業務を変革していくことは、もはや不可欠となっています。

大企業と比べて経営資源の制約が強い中小企業では、顧客ニーズやライバルの動向をよく見て、テーマをギリギリまで絞って資金や人材を投入していく必要があります。補助金などで元手を補うことも大事でしょう。そして、全てを外注に頼るとコストが嵩んで施策を継続できなくなるリスクがあるので、外注はここぞという部分に絞り、なるべく社員の力でDXを進めることも大切です。

もっとも、デジタルに詳しくない社員が聞きかじりでDXに取り組んでも、うまくいく可能性は低いでしょう。DXを社員中心で進めるには社員のリスキリングが必要です。

1. DX時代のリスキリングの課題は何か?
(独)中小企業基盤整備機構が2022年3月に実施した「中小企業のDXに関する調査 」では、従業員規模21名以上の中小企業では、41.8%が「DXに関わる人材が足りない」と回答しています。

筆者はIT業界に身を置いていますが、確かにDX人材の不足を日々感じています。転職市場にDX人材は少なく、高額報酬を払わなければ採用は困難です。DXニーズが高まる中で外注ベンダーの単価も高騰しています。そこで、社員をDX人材に育成しようという発想が出てきます。

それでは、社員のDX人材へのリスキリングはうまくいっているのでしょうか? フォーバルGDXリサーチ研究所が行った「中小企業のDXに関する実態調査 第1弾 」では、DXの取り組みレベルを上げるために不足しているのは「従業員のリスキリング」と回答した経営者が52.0%もいましたが、同調査の第3弾 では「リスキリングへの取り組みや支援ができていない」と回答した経営者が92.4%でした。社員のリスキリングは必要だけれども、できていないというのが実態のようです。

筆者はDXを進めたい地方中堅企業などを顧客に、DX人材育成のサービスを提供しています。そこでよく聞くリスキリングの課題は以下のようなものです。

① そもそも何を教育したらよいか分からない
大企業向けのDX関連書籍はかなり出てきましたが、中小企業向けは多くありません。また、成功例の紹介に留まる ものが多く、新しい分野だけに示唆の質も玉石混淆です。
② 社内に教えられる人がいない/誰に訊けばいいか分からない
日本企業はOJT文化が強いのですが、新しい分野だけに、DXでは社内の誰に師事すれば何が身につくのか分かりません。DX事例のある企業でも、まだノウハウに昇華されていません。
③ 社員のモチベーションが湧かない
社員は普通、システム開発ではなくその企業の本業がやりたくて入社しています。「専門家に頼まず社員で安くやろう」という理由だけでは、全くやる気が出ません。
④ 社員のリスキリング用の時間が足りない
本業の負荷を減らすことができず、せいぜい既存の「マネジメント研修」などと同程度の時間しか取れていない企業が多いです。DX人材になるには圧倒的に時間が足りません。

DX人材へのリスキリングというのは、ITが本業の企業を除けば、基本的には全く新しい知識分野の開拓に当たります。従って、難しいのは当然であり、戦略的に手を打つ必要があるのですが、それを考えるための道標すらないというのがこれまでの状況でした。
そこに新たに登場したのが経済産業省の「デジタルスキル標準」です。

2.デジタルスキル標準とはどんなツールか?
デジタルスキル標準とは、企業・組織のDX推進を人材スキル面で支援するため、経済産業省と独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が取りまとめたスキルの定義書です。

デジタルスキル標準は、以下の2種類の標準で成り立っています。
① 「DXリテラシー標準」(2022年3月策定)
全てのビジネスパーソンが身につけるべき能力・スキルの標準
② 「DX推進スキル標準」(2022年12月策定)
DXを推進する人材の役割や習得すべきスキルの標準

「DXリテラシー標準」は、DX時代に乗り遅れないよう、新入社員研修や既存社員のスキル底上げを考える上で大事な標準です。また、「DX推進スキル標準」は、デジタル技術を用いて社内業務を高度化したり、顧客サービスを時代にあった内容に改良していく上で、どんな人材を社内で育てるべきかを検討するのに役立ちます。

(1)DXリテラシー標準の内容
「DXリテラシー標準」には、DX時代のビジネスパーソンの学ぶべき内容が簡潔に示されています。具体的には、DX時代に持つべきマインド・スタンス、DXの背景理解、DXで活用されるデータ・技術の基礎知識、およびデータ・技術利活用の事例が含まれます。
「DXリテラシー標準」の詳しい内容は以下をご覧ください。

IPA Website DXリテラシー標準(DSS-L)概要
https://www.ipa.go.jp/jinzai/skill-standard/dss/about_dss-l.html

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出典:経済産業省Website 「デジタルスキル標準」をとりまとめました!
https://www.meti.go.jp/press/2022/12/20221221002/20221221002.html

この中で意外と重要なのは「マインド・スタンス」や「DXの背景」です。DX推進には能力・スキル強化も大事ですが、それと同じぐらい制度の見直しやインフラ整備・マネジメントの仕組みの変革も大切です。「昔の最適解」が通じなくなったことを、ベテラン社員やマネージャークラスに理解してもらうことは、経営層の大切な仕事になります。

「DXリテラシー標準」の内容は、社員一人一人が自己研鑽で身に付けるべき内容も多く含まれています。しかし、あまりデジタルリテラシーの高くない社員にそのまま伝えても、何を求められているのか理解することは難しいでしょう。

各企業が、自社の社員研修などで使用している用語・枠組などに合わせる形でこの標準をかみ砕き、社員にきちんと伝わる言葉でガイドレールを敷いてあげることが大切です。入門書を一つ選んで輪読会を開いたり、新ツールの体験版をみんなで触って遊べるようにするのも良いでしょう。

(2)DX推進スキル標準の内容
「DX推進スキル標準」は、DX推進に必要な人材像が取りまとめられています。実際にDXプロジェクトをやってみようと思ったときに参照すべきはこちらになります。(社内で全くDXリテラシーが定着していないと、推進者だけでは空回りしてしまうので、「DXリテラシー標準」の重要性を否定しているわけではありません。)

「DX推進スキル標準」には、まずDXを推進する人材の役割分担が定義されています。DX推進は一人ではできないので「こんな役割の人を揃えるといいですよ」ということを説明しているわけです。その上で、各人材が持っているべきスキルセットの定義、各スキルの内容、各人材におけるスキル習得の重要度(どのぐらいのレベルまで習得すべきか)が簡潔に取りまとめられています。
「DX推進スキル標準」の詳しい内容は以下をご覧ください。

IPA Website DX推進スキル標準(DSS-P)概要
https://www.ipa.go.jp/jinzai/skill-standard/dss/about_dss-p.html

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出典:経済産業省Website 「デジタルスキル標準」をとりまとめました!
https://www.meti.go.jp/press/2022/12/20221221002/20221221002.html

カタカナ語ばかりで難しいのですが、平たく言うとこういうことです。
① ビジネスアーキテクト
DX変革を起こしたい製品・サービス、社内業務(経理など)のリーダーの人
② デザイナー
ユーザーのことを考えて製品・サービスのデザインや、社内システムの画面を設計する人
③ データサイエンティスト
製品・サービス、社内業務で得られるデータから、有益な情報を引き出す仕組みを作る人
④ ソフトウェアエンジニア
既存のツールを組み合わせたり、新システムを開発したりして裏側の仕組みを作る人
⑤ サイバーセキュリティ
製品・サービス、社内業務がデジタル化することで生じるリスクの対策を立てる人

この5つの「人材類型」は、活躍するシーン・業務によってさらに15のロール(役割)に分けられています。そして、49の共通スキルのうち、どのスキルを習得するとその役割が果たせるのかが、ロールごとに定義されています。

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出典:「デジタルスキル標準」第3部 DX推進スキル標準 p13より抜粋
https://www.ipa.go.jp/jinzai/skill-standard/dss/ps6vr700000083ki-att/000106871.pdf

この後、各スキルの内容や、それぞれのロールにおけるスキルの重要度(どのレベルまで習得すべきか)が書かれていますが、そちらは「DX推進スキル標準」の原本を参照してください。

3.デジタルスキル標準をうまく活用するには?
デジタルスキル標準を活用する上で重要なのは、「DX推進スキル標準」をどう捉えるかです。

「DX推進スキル標準」は綺麗に体系立ててスキルが整理されているため、全部のスキルを誰かに習得させたくなるかもしれません。しかし、それは悪手です。なぜなら、「DX推進スキル標準」に出てくるスキルの多くは、習得に実務の積み重ねが必要な専門スキルだからです。やみくもに習得させると時間やコストがかかり過ぎ、成果が出るまで投資に耐えられません。

筆者がDXリスキリングの計画を立てるときは、まず社員中心で開発・運用したい製品・サービスの絞り込みをお願いしています。社員が取り組む意義のあるデジタル製品・サービスのジャンルを明確にし、学びのテーマを限定してしまうわけです。これは社員のモチベーション対策にもなります。

その上で、そのようなデジタル製品・サービスを開発・運用していく体制を現実的に考えてもらいます。「現実的に」とは、「今いる社員の意欲・スキル・稼働時間で」できる範囲を指します。運用が入っているのは、作った製品・サービスが収益を生むまでには、リリース後も改善が必要だからです。

既存社員でできる目処が立たない範囲は、最初から外注ベンダーを使う想定とします。サイバーセキュリティは無理、データサイエンティストは困難となったら、そこは一旦潔く諦めるわけです。ただし、ビジネスアーキテクトだけは製品・サービスを熟知した社員がやるべきで、外注してはいけません。

その上で、社員がやると決めた範囲については、十分な資金と時間を投入し、あらゆる方法で勉強用のカリキュラムをかき集めます。有料のe-ラーニングを買うのもいいですし、実案件で外注ベンダーに社員のフォローを頼むのもよいでしょう。体制・役割分担を明確にした上で、「でも社員はまだ修行中なので、危うかったらなるべくフォローしてね」とお願いするわけです。

取り組んだ結果、「我が社に必要なDXスキル」の内実が見えてきたら、ぜひスキルマップを作成して知見を残しておきましょう。可能なら、単に「我が社のビジネスアーキテクトは●●ができる人」というだけでなく、「●●までできればベンダー補佐を受けて1人前の役割が果たせる」「●●までできれば、小規模案件はベンダー補佐不要でできる」など、レベル分けも考えられるとよいでしょう。また、学習に有益だったカリキュラムや案件も記録しておきましょう。

こうして作ったスキルマップは、絞り込んだ製品・サービス分野、絞り込んだ役割を社員が果たしていけるよう後進を育てる足場となります。決めた範囲を継続的にしっかりこなせる会社になったら、次は製品・サービス分野や、社員の取り組む役割を徐々に広げていけばよいのです。

まとめ
DXを推進するには、社員を中心に製品・サービスや社内業務のデジタル化を進める必要があります。それには社員のリスキリングが必要です。

しかし、本業からかけ離れたDX人材へのリスキリングは簡単ではありません。経営が作戦を立てて進めていく必要があります。経済産業省の「デジタルスキル標準」は、この作戦を立てるのに非常に役立つツールです。

デジタルスキル標準のうち、特に「DX推進スキル標準」をどう活用し、どう経営資源を配分するかは重要です。「我が社でデジタル化する製品・サービス」を明確に絞り、その開発・運用の体制・役割分担を現実的に考え、社員が身に付けるべきスキルを絞って鮮明にすることが大切です。

絞ったスキル範囲に資金や社員の時間を集中させましょう。十分絞られていれば、失敗があっても成果に到達するまで投資を継続できます。そうして得た「我が社に必要なスキルマップ」でスキルを社内に定着させることで、DX企業として前進していくことができるのです。

(独)中小企業基盤整備機構 中小企業のDX推進に関する調査(全体版)
https://www.smrj.go.jp/research_case/research/questionnaire/favgos000000k9pc-att/DXQuestionnaireZentai_202205_1.pdf
フォーバルGDXリサーチ研究所 中小企業のDXに関する実態調査 第1弾
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000117855.html
フォーバルGDXリサーチ研究所 中小企業のDXに関する実態調査 第3弾
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000117855.html

■略歴
神保 直樹
中小企業診断士/ITストラテジスト
株式会社メンバーズ DXプランナー
一般社団法人 東京都中小企業診断士協会中央支部 青年部副部長
企業のWebサイトやSNSのプランニングを数多く手がける。支援範囲は、定量・定性調査、Webマーケティング企画、マーケティング組織体制作り、ガイドライン策定、制度設計など。
ゲーム理論、行動経済学の知識を活用し、持続可能な社会に貢献する制度の構築を目指している。