中央支部・国際部 伊藤 英幸
海外での移動となると、飛行機や車が主となる場合が多いのではないでしょうか。筆者は米国に留学、英国に駐在で滞在、そして後に旅行で両国を訪れました。その中で、列車の旅も少々体験。飛行機や車の旅とは違った姿が見える、列車の旅をご案内します。
北米(米国・カナダ)列車の旅
1)クリーブランドCleveland―ニューヨークNew York(米国)
1989年の年末、クリスマスから新年をニューヨークの友人宅で過ごすこととなった。そこで移動にアムトラックAmtrack(全米鉄道旅客公社の列車)を使って、留学先のクリーブランドーニューヨークを列車で移動することとした。ところが、アメリカ人の友人にその話をすると「どうして列車なんだ、飛行機の方が便利だぞ」「格安の飛行機チケットの取り方を知らないんだな。教えてあげるよ」と何人からも言われる始末。私は「せっかくアメリカに来たのだから、一度は列車にも乗ってみたい」と答えたのだか、それが意味することは実際に乗ってから知ることになる。
クリーブランドーニューヨークの路線は、大きく迂回して行く。五大湖のエリー湖Lake Erieに沿って、ナイアガラの滝に近いバッファローBuffaloへと北上、そこから東に進んで最後にニューヨークに南下する。出発するシカゴChicagoからはミシガン湖、エリー湖、オンタリオ湖に沿って走るため、Lake Shore Limitedの名称がある。
乗って分かる現実(その1):
列車が来ない。同路線は1日1本、(当時は)クリーブランドでは3:00AMに乗車の予定だった。ただ、待てど暮らせど列車は来ない。ようやく来たのは夜が明け始める頃だった。
乗って分かる現実(その2):
アメリカは広大。ようやく列車に乗って、動き始める。流れて行く車窓から眺める景色を楽しみながら、と思った。が、景色が変わらない。童謡の汽車のように「今は山中、今は浜。今は鉄橋渡るぞと」ということはありえない。森林になれば森林、牧場になれば牧場が延々1時間単位で続く。駅のあたりは街となっているが、そこはあっと言う間に過ぎてしまう。
ようやくニューヨークに着いたのは、予定到着時刻の正午から大幅に遅れた6:00PMだった。せめてもの救いは、(遅れたためか)飲み物と軽食(チップス)が配られたこと。座席はアメリカ仕様でゆったりできたことである。ちなみに、帰りは3時間遅れで済んだ。
アメリカ人の友人の言っていたことは正しかった。長距離の移動は飛行機がいい。
2)コックレーンCochraneームーソニーMoosonee(カナダ)
1989年の夏休み、車でカナダへの旅に出た。そこで出会ったのがPolar Bear Express(北極熊急行)だった。カナダの内陸のコックレーンから、カナダの原生林を貫いて行き、終点のムーソニーは文字通り北極海に面している村である。ムーソニーに行く手段は、空路、海路、そして鉄道のみであり、道路は存在しない。観光シーズンは1日1往復が運行されていた。どんな場所か、どんな鉄道か、見てみようと列車の旅に出た。
いくつかの場所、駅とも言えない場所で列車は停止した。そこでは狩猟や林業を営んでいる家族に生活物資を運んでいた。そして終点のムーソニーに到着。暑い夏でも、北極海に面しており涼しくて気持ちが良かった記憶がある。印象的だったのは、その場所にもTOYOTAの自動車があったこと。部品や整備の資源が限られる場所でも、日本製は信頼度が高いので使われているのだなぁ、と思った記憶がある。JAPAN AS NO.1の頃だった。
食堂と言った方が合うレストランで、昼食を食べていると1人の男性と知り合いになった。話しているうちに仲良くなると、「俺はエンジニアだ。お前を乗せてやろう」と言ってくれた。エンジニアって、機関士?整備士?と思いながらついていくと、運転席に着いた。エンジニアは運転士だったのだ。
運転席の筆者 (筆者撮影)
復路を運転席という特等席で景色を楽しんだ。そして途中で別の担当者に変わる際に、客車に戻った。35年以上も前のカナダでの出来事である。
旅の出来事もこんなことなら大歓迎。出会いに感謝。
3) ベリングハムBellinghamーバンクーバーVancouver(カナダ)
時は飛んで、2018年。シアトルSeattleから北へ1時間ほどのベリングハムという街からバンクーバーへの列車の旅に出た。
一日に複数回運行される路線(といっても1日、2~3便)に乗るのは初めて、また2時間程度の比較的短い距離の日帰り旅行だった。
道中では、西海岸の光景を楽しむこともできたし、ほぼ時間通りにバンクーバーに到着。観光を楽しんだ上で、戻ることができた。無事に。
沿線の光景 (筆者撮影)
その名もWEST COAST EXPRESS (筆者撮影)
カナダでは、初の体験となる列車内での入国審査となった。他の乗客は慣れた手つきで書類を作成。一方、我々はというと、筆記用具がない。近くにいた乗客に筆記用具を借りて無事、入国手続きは終了。まるで、車内の検札の様だった。
西海岸の(比較的)短距離路線は快適だった。ほぼ時間通りに到着。
英国列車の旅
1) ロンドンLondon―ウインダミアWindermere(湖水地方)、ロンドンーバースBath
2016年、英国・ロンドンを訪れた。National Rail Passを使って、湖水地方、古代ローマ時代からの温泉の町バースへと列車の旅を行った。せっかくの旅行だからとFirst Classを購入した。
ロンドンで気を付けるのは、
・出発の駅は行先によって異なり(それぞれが鉄道では繋がっていないため)、そこまでは地下鉄やタクシーで行く必要がある。1990年代の赴任時は、自分の車で移動していたのでうかつにも知らなかった…
・駅に行くまでも、週末は地下鉄も含めて減便や始発が遅い場合がある
・鉄道も、週末や大型連休だから列車も増発という発想はなく、むしろ休むことにより減便となる場合がある
印象に残った出来事は、
・(First Classでは)軽食と飲み物が提供されるが。長距離路線で途中に運行会社が変わるともう一度、提供されること(乗客の行先は様々であり、一度提供されたかどうかは聞かれない)。英国の鉄道路線図では運行会社毎に異なる色で示されている)。
・終点の近くになると、片付けに来る(顧客がまだ食べている、飲んでいるかはお構いなし)。終点ロンドンの10分前になると、片付け開始。日本の新幹線の様に、乗務員と清掃員が別ではなく、乗務員が片付けを行っていた)
車内サービスの様子 (筆者撮影)
バース駅の売店で、おーいお茶Oi Ochaとスシ・ロールを発見。日本のお茶が広く飲まれていることと、その値段(当時のレートで約500円)に驚いた。コロナ明けに訪れた欧州(オーストリア・スイス)では、さらに高くなっていた…
英国鉄道の旅はおおむね快適だった。First Classの旅も楽しい。英国の鉄道旅は、車窓からの景色を楽しめた。変わりゆく景色や、距離感は日本の感覚に近いかもれない。
英国の車窓から眺める景色 (筆者撮影)
2)(番外編)ロンドン・チューブ(London Tube・地下鉄)
ロンドンに駐在していた1990年代の前半、地下鉄で通勤をしていた。床は板張り、座席の布は年期の入った歴史を感じさせる車両であった。そんな中でも記憶に残るのが、行先が変わることであった。
当時、利用していたのがノーザン・ラインという路線で、本線と支線に分かれていた。自宅ヘ帰る本線の列車に乗っていると、なぜか分岐となる駅を超えて、支線の駅に到着。「行先を間違えたのかな」「分岐の駅を乗り過ごしたのかな」と思って戻ろうとすると、他にも何人かが同じように。自分だけではなかった!行先も変わり、分岐の駅を通過(したのだろう)。
2016年、駐在の頃から四半世紀の時を経て、ロンドンに旅行をした。ヒースロー空港から地下鉄に乗ると、車両は新しくなっているし、行先の案内も電光掲示に。時間は大きく変えるなぁ、と感慨深く乗っていた。すると、走行中の車内のアナウンスが「この列車は行先を●●(途中駅)に変更します」。一緒に乗っていた家族は、一体何が起きたか分からず… 日本では行先変更が生じるのは天候や事故が理由だし、そもそも走行中に行先が変わることなんて聞いたこともない。
赴任していた頃の出来事を思い出した。途中で止まる方が、行き過ぎるよりいいのか。
海外では何があっても驚かない。アナウンスは注意して聞く。分からない時もあるけれど。
おわり
日本を訪れるインバウンドの多くが鉄道、新幹線を利用して旅を楽しんでいる。
われわれも海外を訪れる際に、鉄道を利用しての旅もしてみたい。飛行機や車とは違ったその国、その地域の姿が見えてくるはず。
■伊藤 英幸(いとう ひでゆき)
2021年中小企業診断士登録、Case Western Reserve Univ., MBA(米国MBA)、証券アナリスト、国際公認投資アナリスト。
上智大学在学中は、英語研究会(ESS)で英語ディベートを行う(グローバルウインド2023年7月「英語ディベートのすすめ」)。日本ディベート協会会員。
日本・外資の金融業界(銀行・証券)に約40年勤務、うち30年間、与信審査に従事。1990年代以降、日系・外資の金融機関(銀行・証券・保険)の信用分析に携わる。
2025年3月に中小企業診断士として独立。
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