国際部 長田 真由美

冬本番、寒さもひとしおですね。毎年冬になると私は4年間滞在したシンガポールが恋しくなります。赤道直下の常夏の島では冬がなく、一年中30度前後の安定した気温で本当に快適でした(一方、衣替えもなく、年中同じ夏服の着た切り雀の感覚でしたが)。

シンガポールは東京23区ほどの大きさの国土で、天然資源もほとんどありませんが、国民一人あたりのGDP2023年時点で84,734ドル(1195万円)とアジアの中ではトップ。81,695ドル(1152万円)のアメリカをも上回って世界5位、日本の33,834ドル(477万円)2.5倍となっています(GDP金額は世界銀行データによる。2023年末時点で1ドル=約141円)。
1965年にマレーシアから放逐されるようにして独立せざるを得なくなった時には、時のリーダーであり、シンガポール建国の父とも呼ばれるリー・クアンユー初代首相が涙の会見を行うほど、苦痛と不安に満ちた船出だったとか。その後大発展を遂げたシンガポール。

11月に同地を訪問する機会がありましたので、今年独立60周年を迎えるシンガポールの来し方と今について、【前編】【後編】として2回にわたって皆様にご紹介したいと思います。

図表1:シンガポール地図

image001【出典:イラストAC】

シンガポール基礎情報

シンガポールの人口は約600万人、多民族国家で、国民・永住権を持つ住民の人口の割合は、中国系74%、マレー系13.5%、インド系9%、その他3.5%。よって、公用語も英語、中国語(北京語)、マレー語、タミル語と多言語になっています。
人口600万人のうち30%は外国人が占めており、日系企業も個人事業主も含め1,000社以上が進出し、3万人にのぼる日本人が居住しています。狭い国土に1,000軒もの日本食レストランがひしめきあい、寿司屋・ラーメン屋・焼肉屋・しゃぶしゃぶ屋など何でもありで、現地人の方々も含めいつも賑わっています。また、ドン・キホーテがDonDonDonkiという大型スーパーマーケットをシンガポール全土で15店舗展開しており、2020年までの在住時も今回の訪問時も日本食の食生活には全く困りませんでした。

image002【写真:DonDonDonki】

歴史的には、1819年にイギリス人のトーマス・ラッフルズが「発見」するまではマレー半島の先端にある小さな漁村に過ぎませんでしたが、ラッフルズが商館を築き、その後イギリスの植民地となり徐々に発展していきました。第2次大戦中には日本が3年間同地を占領し、戦後マレー領となった後、1965年に独立、2025年にようやく独立60周年を迎えます。ですから、私が2016年にシンガポールに赴任した時には現地人の古参社員の中には、子供の頃はまだシンガポール独立前だったという方々がいたものでした。

主な産業としては1980年代にかけて日本企業も多数進出してエレクトロニクス・石油化学等の製造業が発展し、それに伴い80年代からシンガポール港を貿易ハブとして運輸・倉庫業も主要産業の一つとなりました。現在でも個人で海運関連のコーディネーターの会社を設立して働いていらっしゃる日本人の方々もいらっしゃいます。また90年代からはアジアの主要な金融ハブの一つとなり、更に近年では政府がIT産業に力を入れて情報・通信業もGDP成長率への寄与度が上がってきました。
国土が小さく資源がないため、投資や人を呼び込むことが最重要政策であり、そのための優遇税制やインフラ整備、政治の安定のための一党支配、治安維持に腐心しています。
国防意識も高く、車で2時間走れば国土の東端から西端に行きつける広さなのですが、空軍もあり男子は2年間の兵役義務もあります。

シンガポールの風土

前章で述べたように国民の一人当たりGDPが高く、不動産価格、レストラン食事代など物価が非常に高いので、ある程度の収入を稼げないと生活が大変ですが、それなりの所得があれば非常に暮らしやすい国です。
まず冬がなく1年中ずっと30度前後の気温というのが人間の身体にとってこんなに負担が少ないものかと4年の滞在で痛感しました。シンガポール=赤道直下の熱帯=暑い、というイメージがありましたが、どんなに暑くなっても35度程度のため、夏などは日本からの出張者が「シンガポールの方が涼しい!」と喜ぶほどでした。

冬がないため「去年の冬にXXXがあった」という会話は成り立たない、というのも驚きの発見でした。言うとすれば「去年の2月」と特定するとか。また桜の季節や紅葉の季節もなく、あるとすればクリスマス・春節・ディワリのようなイベントにまつわる「季節」。日本人の心象風景では常に四季折々の風景と思い出が密接につながっており、「あれはちょうど金木犀が香る季節だったよね」というような語らいがあると思うのですが、一年中同じ気温のシンガポールでは人々は過去の思い出の時期(1月とか5月とか)をどのように記憶しているのだろうか?と不思議に思ったものでした(或いは具体的な時期など記憶していなくても良いのかもしれません)。

またシンガポールで素晴らしいと思ったのは、災害リスクがほとんど全くないという点です。日本は災害大国で地震・台風・火山のすべてのリスクがありますが、シンガポールはその一つもありません。よって日本ではあまり信じられないようなデザインのビルもたくさん建てられています。

image003【写真:大地震があったらと心配になるデザインのビル】

多民族の人々はおおっぴらにぶつかることはなく、30%もいる外国人居住者ともうまく融合して暮らしていると感じました。私の母がシンガポールに1カ月滞在した折に一人でスーパーマーケットに買い物に行っていたのですが、スーパーに来ている近所の地元のおばさまに積極的に話しかけられ、英語がしゃべれないと分かっても、身振り手振りで会話をしてくれて本当に楽しかったということが何度もありました。

そのような庶民的な部分もあるかと思えば、企業の駐在員が住むようなコンドミニアムでは家賃も非常に高額で、金融系など超高所得の方々も住んでおり、駐車場には様々な色のランボルギーニ、フェラーリ、ポルシェが並んでいました。でもそのオーナーはといえば、みな短パンにサンダルでそのような車に乗って近くのショッピングセンターに買い物に行くという気軽さがありました。(そもそもシンガポール政府は町中の車を増やさないため、車のナンバープレートを取得するだけでも1,200万円程度の費用を払わせる制度になっており、それに追加して車の購入費がかかる訳ですから、車の所有者というのは非常に限られていました)
現地の方々は一般的にはシンガポール政府が支給する、住宅開発庁(Housing & Development Board)の略称でもあるHDBと呼ばれる公共住宅に住んでいます。高級HDBもあれば、日本のニュータウンのように多くの棟が立ち並ぶ団地のようなHDBもあります。

image005【写真:団地型のHDB】

こうしたHDBの一角には必ずホーカーセンターと呼ばれる廉価な飲食店を集めた屋外型フードコートがあり、高額なレストランとは違って安い価格で定食や麺などを食べることができます。以前は5シンガポールドル(575)程度だったホーカーセンターにもインフレの波は押し寄せており、今回はホーカーセンターなのに8ドル~10ドル(9201150)という価格になっていてホーカーセンターで1000円以上するというのは寂しかったですね(202411月時点で1シンガポールドル=約115円)。

image007【写真:有名なMaxwell Food Centreのチキンライスの店】

次回の【後編】では、シンガポールの経済開発および国家戦略についてお伝えします。

 

■長田 真由美(ながた まゆみ)

2014年中小企業診断士登録。東京都中小企業診断士協会中央支部国際部所属。
ソニーに勤務し、販社経営管理、販促、Eコマース、サプライチェーン、サイバーセキュリティ等を担当。16年の海外駐在(ドイツ、ベルギー、シンガポール)を経て独立し、経営改善(戦略、財務、組織、販促等)および海外展開においてご支援。

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