国際部 德長 幹惠

1.日本鉄鋼業のカーボンニュートラルビジョン

1)日本政府のカーボンニュートラル宣言

近年、地球温暖化による気候変動問題などへの対策として、世界各国では温室効果ガス(以降GHG)削減が喫緊の課題になっている。日本でも、2020年10月、菅前首相が2050年までにGHG排出量を全体としてゼロの状態にする「カーボンニュートラル(以降CN)、脱炭素社会の実現を目指す」と宣言した。また、同時に2030年までに対2013年比で▼46%のCO2排出量削減を目指すという高い目標を掲げた。
CNを達成し脱炭素社会を実現するためには、数多くの企業による協力が必要となる。日本政府や産業界はCN達成に向けた動きを経済成長の機会と捉え、GHG排出量削減と産業競争力向上の両立を目指している。

2)日本鉄鋼業のCN計画

鉄鋼業は、産業部門からのCO2排出の48%、日本全体のCO2排出の13%を占める多排出セクターで、日本全体のCN達成の鍵を握る産業部門である。

図1「今後10年を見据えたロードマップ 事例3:鉄鋼業」に示すように2050年CNに向け、政府目標である2030年に1,000万トンのグリーンスチール(生産時のCO2排出量を削減した鉄鋼材料のこと)を供給する体制を目指し、鉄鋼業界では大胆なプロセス転換投資も検討している。

現在、CO2削減のために取り組まれている脱炭素製鉄の技術対策の主要なものは、下記のとおりである。

①革新高炉法(鉄鉱石を還元するのに、従来はコークス等をもちいていたが、これを水素や、メタン等に置き換えていくもの)

②直接還元製鉄法(低品位の鉄鉱石をキュポラ(※注1)のような還元炉でブリケット(※注2)を製造する)

③高効率・大型電気炉(②で製造したブリケットや、スクラップを装入して高品質化・高効率溶解を実現する)

 

図1

図1.「今後10年を見据えたロードマップ 事例3:鉄鋼業」
(出所:経済産業省 GX実現に向けた基本方針参考資料 2023年2月)

図2「CN(カーボンニュートラル)達成のための主要技術」に示すように、これらの技術はすでに実装試験に着手されているが、道のりは遠く、水素製鉄等が実機化される目途は、2030 年以降である。そのため鉄鋼業界のCO2削減目標は、2030年において対2013年比▼30%にとどまっている現状である。

図2図2.CN(カーボンニュートラル)達成のための主要技術
(出所:日本製鉄 カーボンニュートラルビジョン2050)

2.鉄鋼業の脱炭素化で先行する欧州の概観

1)先行する欧州(EUの政策的リーダーシップ)

EUでは、鉄鋼業の脱炭素化において、これまで以下のような脱炭素政策を進めてきた。

①自然エネルギー電力のさらなる導入とコスト削減
現在、自然エネルギー電力は、EU電力の38%を占め、コストも安い。
2050年までにさらに81-85%までシェアを上げる目標設定。

②実効性のある炭素価格メカニズムの強化
2026年以降の無償排出枠の段階的廃止

③CNに適合した水素(グリーン水素)
2030年までに電解装置を40GW整備し、グリーン水素生産量を1,000万トンとする目標設定が条件となっており、この条件整備を政策として行っている。

このような政策に呼応して、供給側では、脱炭素鉄鋼の製造プロジェクトを本格化させ、規模を拡大。需要側企業では、自動車産業をはじめ、低炭素鉄鋼(グリーン・スチール)の調達に向け行動を開始するなど、先見性のある企業等の脱炭素製鉄の導入に向けた活動が始まっている。

EUの政策執行機関である欧州委員会では2021年5月に「競争力のあるクリーンな欧州の鉄鋼を目指して」を発表。EUの鉄鋼の脱炭素化へのビジョンを提示している。その中で、以下としている。

・低炭素化技術の商用化は2030年ころとされているが、今野心的な計画を立てることが必要

・時間との闘い-2050年までの投資機会は1回限り、多くの高炉がこの10年以内に

運転寿命を迎え、改修投資が必要、従ってこの5年間が重要。

 

2)脱炭素化に向け動き出した欧州の鉄鋼業界

EUは、鉄鋼部門の脱炭素化の主要な技術手法について、図3「主要な脱炭素技術」のように整理していて、これらについては、日本鉄鋼業が取り組んでいるものと大差はない。しかしながら、EUは、グリーン水素、グリーン電力を優先、重きを置いている点において、日本と違いがある。

図3

図3.主要な脱炭素技術
(出所:自然エネルギー財団 「鉄鋼業の脱炭素化に向けて 欧州の最新動向に学ぶ (2021年12月))

図4「欧州大手鉄鋼メーカーの脱炭素製鉄の方針」は、欧州大手鉄鋼メーカーの脱炭素製鉄の方針を示すが、日本の削減目標を上回る意欲的な中期目標が設定されている。

図4

図4.欧州大手鉄鋼メーカーの脱炭素製鉄の方針
(出所:図3に同じ)

図5「欧州鉄鋼業における脱炭素製鉄プロジェクト」は、新規に動き出しているプロジェクトを示すが、水素直接還元-電炉法を中心に多くのプロジェクトが進行中である。

図5

図5.欧州鉄鋼業における脱炭素製鉄プロジェクト
(出所:図3に同じ)

 

3.CNへの挑戦(水素・アンモニアの役割)

CN時代を見据え、水素は、電化が難しい熱利用の脱炭素化、電源のゼロエミッション化、運輸、産業部門の脱炭素化、合成燃料や合成メタンの製造、再生可能エネルギーの効率的な活用等、多様な貢献が期待できるため、その役割は今後一層拡大することが期待されている。

2020年12月に策定された「グリーン成長戦略」の中で水素は、発電・運輸・産業等幅広い分野で活用が期待される、CNのキーテクノロジーとして位置づけられている。また、2021年10月に閣議決定された第六次「エネルギー基本計画」において、CN時代を見据え、水素を新たな資源として位置づけ、社会実装を加速していくこととしている。

 

図6「水素の今後の導入拡大イメージ」に示すように、水素の供給コスト削減と、多様な分野における需要創出を一体的に進める必要があるが、鉄鋼業への利用は2030年以降になっており、コスト削減にも長い時間がかかる。

アンモニアは、天然ガスや再生可能エネルギー等から製造することが可能であり、燃焼してもCO2を排出しないため、温暖化対策の有効な燃料の一つとされている。さらにアンモニアは、水素キャリアとしても活用でき、水素と比べ既存インフラを活用することで、安価に製造・利用できることが特徴になっている。アンモニアも水素と同様に、「グリーン戦略」の14の重要分野の一つに位置付けられている。

 

図6図6.水素の今後の導入拡大イメージ
(出所:岩谷産業 「水素産業の現状と将来展望について」(2023年7月)

 

図7には、アンモニアの今後の導入拡大イメージを示すが、水素と同様に鉄鋼業での利用には、時間がかかると考えられている。

図7

図7.アンモニアの今後の導入拡大イメージ
(出所:岩谷産業 「水素産業の現状と将来展望について」(2023年7月)

4.2035年エネルギーミックスの改善にむけて

図8に示すように、政府は第六次「エネルギー基本計画」を見直した。しかしながら、この見直しにおいても、2030年段階で化石燃料由来の電力構成が40%を超えており、欧米の自然エネルギーへの傾斜のペースに比べると、遅れていると言わざるを得ない。

自然エネルギー財団からは、2035年に電力の80%以上自然エネルギー供給できる可能性を示した報告書も公開されている。(図8.第6次「エネルギー基本計画」におけるエネルギーミックス

すでに最も経済的な電源になっている太陽光に加えて、風力も浮体式を含めたプロジェクト形成および促進地域指定の加速化等により、脱炭素電源ミックスの大幅な改善可能性について指摘している。

図8

図8.第6次「エネルギー基本計画」におけるエネルギーミックス
(出所:自然エネルギー財団 「2035年エネルギーミックスの提言」(2023年4月))

5.日本鉄鋼業 1.5℃実現に向けて

1)パリ協定からグラスゴー合意へ

2015年にパリで開かれた、気候変動問題への国際的な取り組みであるCOP(Conference of the Parties 国連気候変動枠組条約締約国会議)では、以下の「パリ協定」が合意されている。

「パリ協定」では、「世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保ち、かつ1.5℃に抑える努力をする」とした世界共通目標が掲げられている。地球温暖化によるさらなる気温上昇を抑えるために、世界的に温室効果ガス削減に向けた脱炭素の取り組みが求められている。

その後、2021年11月のCOP26では、パリ協定で決めたことがルール化され、1.5℃目標の対策を加速させる文言の追加もなされている。(グラスゴー合意)

2)日本の2030年削減目標

図9に示すように、日本の現在の2030排出削減目標は、2019年度比とすると、CO2削減量は▼35%にしかならず、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change 気候変動に関する政府間パネル)第6次統合報告書が求める▼48%には大きく不足している。

繰り返しになるが、日本鉄鋼業のCO2削減目標は、対2013年度比▼30%であり、早急かつさらなる貢献が求められている。

図9図9. 第6次「エネルギー基本計画」とIPCCが求めるCO2削減レベル
(出所:自然エネルギー財団 日本鉄鋼業脱炭素化への課題と戦略  (2023年7月))

3)日本鉄鋼業の脱炭素化への課題

日本鉄鋼業において、脱炭素化の進捗が緩やかである原因として、以下の4点が主要なものとして考えられる。

①スクラップ鉄
高炉製鉄が電炉にシフトし、スクラップを利用する場合、スクラップ鉄が不足する。

日本鉄鋼連盟のデータによれば、2020年において、世界の粗鋼生産は19億トンに対し、スクラップ供給量は7億トン、2030年の予測は、粗鋼生産21億トンに対し、スクラップ供給は9億トン、2050年の予測は、粗鋼生産が27億トンに対し、スクラップの供給は15億トンの見込みであり、スクラップの発生は粗鋼生産の5割程度に留まり、スクラップだけでは世界の粗鋼生産を満たせない。

また、スクラップの45%は老廃スクラップで品質をコントロールしにくい問題もあり、スクラップから高級鋼を製造する技術開発も待たれている。

②脱炭素水素の供給問題
先に述べたように、必要な鋼材の生産をすべてスクラップから賄うことは不可能であり、直接還元によるブリケットの生産が進むにしても、自然界に存在する鉄鉱石を還元して銑鉄を生産するプロセスは当面の間無くならないであろう。

この還元プロセスで必要なのが水素になるが、わが国における「水素基本戦略」では、2030年以降にしか、鉄鋼業向けに水素供給される計画にはなっていない。

また、先に図6で示したように、水素のコストは2030年でも30円/Nm3と依然高く鋼材コストが上昇せざるを得ない状況になっている。

海外において水素を生産し、液体水素、MCH(メチルシクロヘキサン)、アンモニア等のキャリアで国際輸送することも検討されているが、解決すべき技術的な課題も多い。

③脱炭素電源
高炉法に比較してCO2排出係数の小さな電炉へシフトするには、エネルギー源としての脱炭素電源を大量に確保する必要がある。また、水素製造を行うためには、さらに大量の脱炭素電源の確保が必要になる。

電力における自然エネルギー電力の割合は、2030年目標において、独では80%,EUでは68%となっているが、図8でしめしたように、わが国では36-38%と極めて低い数字になっている。

太陽光発電のさらなる普及に加えて、浮体式の洋上風力発電(※注3)等の開発と活用が望まれている。

④CCUSの積極活用の非現実性
図3に示したように、CO2の排出を最小化した段階でもなお発生するCO2についてはCCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage)でCO2を地下や海底下に貯留することが考えられている。

しかしながら、日本にはCO2貯留に適した既存の枯渇した油田やガス田が無い、陸域にも貯留に適した場所がほとんど無い、地震リスクなどの貯留がもたらすリスク評価がなされていない等、CCUSを積極的に活用できる条件が整っていない。

また、東南アジアへのCO2輸出・貯留を目指すという国の方針もあるが、現地から批判の声も上がっていて、その道筋は明るいものではないようである。

4)日本鉄鋼業によるCN実現の方向性

図10「日本鉄鋼業におけるCN実現の方向性」に示すように、日本鉄鋼業においても、短中期と長期にわけてCN実現のための戦略を考えていかなければならない。

短中期的には、高炉改修のタイミングで電気炉にシフトし、電炉比率を高めていくことや、そのために直接還元鉄の供給量を増やさねばならない。さらにグリーンスチール製造のためには、化石燃料に頼らないクリーンな電力が安価で供給される体制の構築や、長期的には水素も安価なクリーン電力を使用して供給される体制が必要になると考えられる。

今の温暖化をめぐる状況は、中国にとって非常に有利になっている。中国は自社のグリーン産業を育ててきていて、ソーラーパネルもバッテリーも風車も中国が着々と力をつけてきている。電気自動車のモーターやバッテリーには、中国のシェアの高いレアメタルが必要で、中国への依存度がさらに高まっていく。
しかしながら、中国のCN達成は2060年であり、インドは2070年である。

我が国の「カーボンニュートラル宣言」で掲げた、2030年までに対2013年比▼46%削減の達成は、非常に挑戦的なターゲットではある。
その実現のために

鉄鋼業各社は、
①「電気炉法による高炉法並みの品質の鋼材生産」「高炉法による水素還元製鉄」等の超革新的技術開発への挑戦
②世界の他の鉄鋼メーカーの動向を見据え、他国に先行した新技術の開発および実装の迅速化

また、社会としても
③ベースとなるカーボンフリー電力の安定供給とコスト競争力の強化
④ゼロカーボンスチール実現に資する、コスト上昇の負担を軽減できる社会

システムの構築等に、挑戦していかなければならないと考える。

図10

図10.日本鉄鋼業におけるCN実現の方向性
(出所:特殊鋼倶楽部 カーボンニュートラルWG報告より、筆者編集)
(※注1)「キュポラ」はコークス等の燃焼熱を利用して鉄を溶かすための装置
(※注2)「ブリケット」は成形された鉄鋼原料
(※注3)「浮体式の洋上風力発電」は水深の深い海域でも設置可能であるため、適地が限定的な着床式洋上風力発電より有望視されている。

 

■德長 幹惠(とくなが みきえ)

大手高炉メーカーおよび鉄鋼関連商社に勤続44年。その間、生産管理、品質管理、設備企画、技術開発、経営企画、海外事業企画の各部門の管理・経営職を歴任。2016年中小企業診断士登録。2023年独立。その他、エネルギー管理士、全国通訳案内士(英語)。

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