グローバルウインド「インド駐在生活の記憶と記録~ジュガード精神~」(2023年4月)
国際部 森畑 和之
はじめに
私は、2014年3月から2017年5月まで約3年間、インドのデリー近郊で駐在生活をしました。日本とは全く異なる生活環境、習慣、文化、仕事の進め方にどっぷりつかりながら生活してきましたが、そんな生活の中で、インド人に根付いている創意工夫の精神である、「ジュガード精神」をご紹介します。この精神はヒト・モノ・カネの資源が限られている日本の中小企業にも生かせるのではないかと思います。
1.ジュガード精神とは?
ジュガードまたはジュガール(Jugaad)とはヒンディー語で、「即席で独創的な創意工夫」のことで、平たく言うと、物資や限られたリソースの中で、あれこれと創意工夫を凝らし、目の前の問題を解決すること、です。インフラがまだまだ整備されておらず、物資も乏しい、最先端の技術力もこれから、資金も不足している、そんな中で自分たちが今持っているもので創意工夫をして、目の前の課題に立ち向かうことであり、まさにヒト・モノ・カネのリソースが潤沢ではない中、小企業に通じるものと言えるでしょう。
様々な方やビジネス書でもジュガード精神を取り上げていますが、その特徴は次のようにまとめられます。
・少ないものの中で多くを実現する
・目的志向で直観を大切にする
・シンプルに柔軟に考える
もちろん、これを簡単に実現できれば苦労はしないのですが、新しいことを考える上での明るい道しるべになるでしょう。
2.ジュガートを生み出す背景 -インフラの現状
ジュガード精神を理解するための背景として、インドの生活環境を少し紹介しましょう。特に生活インフラについては、まだまだ発展途上で、足りていないことばかりです。
まずは道路ですが、やや強い雨が降れば洪水のようになり、ちょっとしたことで大渋滞です。私はデリーから20km程度のグルガオンという、日本人駐在者も多い新興住宅都市に住んでいましたが、車での通勤時間が2014年は70分ほど、それから毎年1~2分ずつ時間が伸びていきました。(写真1,2)道路も大きな道路は舗装されていますが、小さな道に入るとほとんどが砂利道です。
3.発表後の混乱
次に電気ですが、インドに出張した方が一様に驚くのが停電です。毎日数回は必ず起きますので、どこのビルにも家庭にも当然のように自家発電機が設置されています。オフィスや家にいても、「ガタン」と音がしたと思ったら、電気がバッサリと落ちて真っ暗になります。しばらくして自家発電に切り替わって復電するのですが、始めのうちは「え、停電?大変だ!」となりますが、1週間もすれば、日常茶飯事で何とも思わなくなります。日本の親会社の監査員の方が、私が駐在していたインド子会社へ内部監査で訪問されたことがありました。監査員の方からBCPの観点の質問で、「停電対策として自家発電機が用意されているようですが、発電機への切り替えのテストや実際に発電機が動作するかのテストはされていますか?」と質問されましたが、「ええ、テストも何も毎日何回も使っていますので」と答えたところ、絶句されたことを覚えています。(写真3)
また電力に関連しては別の問題もあります。インドの発電は石炭火力発電に頼っており、設備も老朽化しています。古い設備のため大気汚染防止のための煤塵処理も厳しく導入されていない状態で稼働していますが、停電が日常茶飯事の供給不足の中では、稼働を優先とせざるを得ず、大気汚染が酷い状況となっています。さらに、農業でも未だに焼き畑が広く行われているため、乾燥した気候であることも相まって、デリーは世界でも大気汚染が最悪の都市の1つとなっています。PM2.5の量など、大気汚染の状況を計るAQI(Air Quality Index)という指数がありますが、日本では30を上回ると外出すると健康に被害があるといわれていますが、デリーでは2桁どころか以下のような状況です(写真4)。
水道も供給が安定しておらず、上水道設備があっても乾期となり水圧が下がるとほとんど蛇口から出てこなくなるため、給水車が普段から活躍しています(写真5)。各家庭やマンション、オフィスビルの屋根には大型の水道タンクが設置されており、給水車で配送された水を貯めるようになっています。
インドの中でもインフラがかなり整備されている首都デリーでも、生活インフラに欠かせない道路・電気・水道がこうした状況ですので、生活インフラの不足は切実なことが理解頂けると思います。ジュガード精神はこうした厳しい環境を創意工夫で乗り越える精神であり、これこそが、イノベーションを生みだし、ひいては経済を成長させる原動力だといえます。
4.ジュガードの例 -アドホックと紙一重-
ジュガード精神の特徴である「少ないものの中で多くを実現する」「目的志向で直観を大切にする」「シンプルに柔軟に考える」を生かしている例を見ていきましょう。日本人の常識を少し外して考えると、勉強になる点が多々あると思います。
最初は写真6ですが、これは電気の要らない簡易冷蔵庫です。インドの中でも乾燥が厳しいラジャスタン州では、農村地域にこうした壺が外に置いてあります。これは水を入れると表面まで浸透する素焼きの壺で、表面から蒸発する気化熱により水がしっかりと冷えるのです。40℃を超える外気の中でも水温は15℃前後に保たれ、水だけでなく食材の保存にも利用されています。
次は、写真7のデリーのバスですが、行先はえーと、「Break Down」です。酷暑により必然的にエンジンにとっては厳しい環境のため、オーバーヒートなどの故障が多いわけですが、それを逆手に取って、あらかじめ故障することを前提に、行先に表示できるようにしています。同じように、エレベーターでも停電時に復電するまで、どこの階に止まっているか分からなくなるため、階数に「?」を出せるようにしているものもあります。もちろん故障や不明な事態が発生しない方が良いのでしょうが、それに目をつぶらず、不測の事態が発生することが当たり前である、という前提でものを考える点で、日本とは違うと感じるのではないでしょうか。どちらがいい悪いというわけではないですが、日本では悪いことは起こさないように努力してきたので起こらないはず、以前の判断は注意深く検討したので誤っていないはず、という考え方が強いと思いますが、それがあまりに強くなると直感的で柔軟な判断が失われることがあるのでは、と思います。
写真8はインドでよく見る光景です。リヤカー付自転車を三輪自動車に乗った人が引っ張り、簡単に早く物を運ぼうとしています。写真9はショッピングモール内にあった内線電話機ですが、おそらく受話器が壊れてしまったのでしょう、受話器を外すだけでなく、フックを押しっぱなしにしてプラスチック板を上に貼り、Hand Free Phone としています。この発想の豊かさには恐れ入ります。根本的ではない手っ取り早い解決法ではありますが、ジュガード精神に立ち返ると、なるほどな、と感じると思います。
続いて写真10ですが、インドではよく道端で野菜や果物を屋台で販売しているのを見かけますが、これはココナッツウォーターを売っている写真です。お客さんにココナッツの頭の部分を鎌で切り落としストローを差して渡すのですが、ココナッツは重量もあり大きさもかなりのものです。私はこのココナッツ売りを見て、これだけのココナッツを夜間はどうしているのだろう、倉庫でもあるのだろうか、と思っていたのですが、この写真でハタと分かりました。そうです、ココナッツを売りながら、そこに住んでいるのですね。究極の職住近接です。
最後に写真11です。前章でインドでは停電が日常茶飯事と書きましたが、家庭でも自家発電がありますが、切り替わるまでに30秒ほどはかかります。切り替わりの間、給電がないと電子機器などは故障してしまうため、大きなバッテリーであるUPSが用意されています。この写真は私の家のUPSが故障した時に、修理に来た作業員の方の様子なのですが、どこか変わっているな、と思いますでしょうか。そうです、この大きな電球ですね。高価なテスターなど使わなくても、電球であれば明るさと光り方(揺らぎがないか)を見ることで、通電の状態や安定性が確認できるわけです。作業員の経験によるところが大きいのではありますが、アナログでローテクの強みを生かしているのではと思います。
アドホックな対応と紙一重ではありますが、どの例も「少ないものの中で多くを実現する」「目的志向で直観を大切にする」「シンプルに柔軟に考える」というジュガード精神を体現しているように思います。
おわりに
インドのジュガード精神をご紹介しましたが、インドで生活をしていると、こちらの予想を超えた解決策や対応に驚かされることが幾度もあります。適当なやっつけの解決法だと、イライラしたり呆れたりすることもあるでしょう。しかしながら、その背景にある、持っているもの創意工夫で何とかする、というジュガード精神の表れだと捉えれば、見方が変わります。インド人が混沌とした社会の中で、生き生きと暮らしている理由がまさにジュガード精神なのでしょう。経済成長が続くインドですが、ジュガード精神に基づく創意工夫が今後の武器になるのではと期待しています。
■森畑 和之(もりはた かずゆき)
2001年より大手メーカ系IT子会社に勤務し、主にITインフラ担当のSEとして従事。勤務先のインド子会社の設立のため、2014年3月から3年間強をインド・デリーにて駐在員生活を経験し、現地でPMI活動などを担当。2021年中小企業診断士登録。