グローバルウインド「金無しコネ無しのベトナム進出を振り返り、異端な海外進出の可能性を考える」(2022年5月)
国際部 三宅 秀晃
私は2012年にITベンチャーでオフショア拠点設立担当としてベトナムに足を踏み入れました。平均年齢は20代前半、社員数はアルバイトを含めれば二桁でしたが正社員は一桁でした。海外での事業展開というと日本とは異なる環境へのリスク対応やコンプライアンス等の話題がついて回りますが、当時私が在籍していた会社ではそのような話題は一切ありませんでした。
その後、紆余曲折ありベトナムで法人といくつかの事業を立ち上げることとなったのですが、そのような環境で海外ビジネスを行っていたので、私の数年間は一般的に常識とされるものとはかなり違う偏見をコレクションしていたことになります。
結局2020年には撤退することになったのですが、そんな私自身の海外ビジネスの経験を振り返りながら、資金力に乏しい小規模事業者でも海外進出を諦めなかった一つの事例として紹介させていただければと思います。
■ 海外展開は新規事業と同じ
2012年当時スーツケース1つでホーチミンの空港に降り立った私を待っていたもの・・・は何もありませんでした。
オフィスを借りる方法、駐在員事務所や法人を設立する方法、人材を雇用する方法、暮らす家を借りる方法、そういったものを何も知らずにとりあえず実地調査が始まりました。
日本で会社を立ち上げる際も本来は同じような課題があるはずです。既に調達部門があり、人事部があり、経理部がある状態での新拠点立ち上げ、とは大きく違う課題なのではないかと思いますし、海外事業を興すということは新規事業を興すようなものだと感じました。
もちろん進出コンサルの会社等、外部の力を借りることで諸々の課題を乗り越えることができますが、当時はそんな資金も無かったのでマンションの一室から事業を始める時と同じように会社の立ち上げを始めました。
日本で新規事業を始める際に1000万円の資本金が必要ということは現在はありません。アパートの一室から少ない貯金で始めることも可能です。そして、海外でも(国により資本金規制や外資規制はありますが)管理に長けた人材ではなく、開拓に長けた人材をアサインすることさえできれば、大きな資金がなくても進出することはできる時代なのではないかと考えています。
進出にあたってはサービスアパートメント、社用車又はタクシー、オフィススペース、海外旅行保険、等と検討していくと日本と変わらないか、それ以上の費用が必要になる計算になりますが、それも必ずしも必須というわけではないという考え方があっても良いと思います。
■ 現地の人の暮らしを日本人ができない理由はない
ベトナムに渡ってからというもの、現地の人の暮らしを日本人ができない理由はない、そう考えていました。共に働く社員が当たり前のように暮らしている社会で、日本人はその暮らしをしては危ないというのは少々違和感があります。
例えば、ベトナムではバイクを運転するかどうかという議論があります。
通常のベトナム展開という話では議論にもならずに運転禁止となることが多いとは思いますが、自ら当地に乗り込んで会社を興すような日本人はバイクの運転を行う方が多かった印象があります。
現地の方々が実際に使っている交通手段を使うというのはマーケットを知るために最も効果的だったと思っています。東京であれば電車、山形であれば車、といったように日本でも都市により多数派の交通手段は異なりますが、ホーチミン市の場合はバイクとバスが一般的でした。次に住んだダナン市ではバス路線網が発達しておらず、基本的には現地の方はバイクかバイクタクシーを使っていたのではないかと思います。
もう一つ、これは極端な話にはなりますが、一時期本当に資金が枯渇しそうなときは現地の若者と同じ予算で暮らしておりました。その間、海外旅行保険の金額がとても大きく感じ、保険に入らずにベトナムに滞在していた時期があります。ベトナムでは薬局が薬の処方を担っており、病院に行かずともある程度の医療が受けられるので当時は全く心配していませんでした。当然薬局での薬は英語の領収書がないこともあり保険対象という話にはならないと思いますし、積極的に推奨するつもりも一切ありません。ただ、現地の方々はそのような環境でも元気に暮らしており、何が何でも日系ないしは外資系の高級病院に掛からなければいけないわけではないと思うのです。
もちろん、脳梗塞や心筋梗塞などベトナムでは治療の難しい病気はあります。すべて日本水準でなければNGというところから、対応できることとできないことを適切に判断した上で行動するという考え方もあるのではないかということです。
これらの話はいささか極論に聞こえるかもしれませんが、現地の社員やパートナーからすると「なぜ日本人は同じ暮らしができないのか」と疑問に思う気持ちは当然のようにも感じます。50年前、途上国だった時代の日本人も今とは全く違う環境で暮らしていたと思いますが、途上国日本を過ごした大先輩方も80歳を過ぎても元気で幸せそうな方が多いと感じています。現代の日本人だけができない理由はなく、後はリスクとリターンのバランスをどう考えるかだけではないでしょうか。
■ 現代の常識に囚われずに挑戦する会社があってもよいのでは
私が海外研修に来る大学生に毎回話していたエピソードに、このようなものがあります。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」のシーン。
Doc 「No wonder this circuit failed. It says “Made in Japan”.」(壊れても仕方ない、”メイドインジャパン”とある。)
Marty「What do you mean, Doc? All the best stuff is made in Japan.」(どういう意味?日本製は最高だぜ。)
Doc「Unbelievable.」(信じられん。)
1955年の世界に1985年からタイムスリップしているシーンの一幕では、30年の間に「日本製=安かろう悪かろう」というイメージが「日本製=高品質」というイメージに変わっていることが印象的です。これは推測ですが、1955年当時は経営手法も製造業のマネジメントも米国の手法がベストだと思われていたことでしょう。
同じ時代である1960年前後に米国進出を果たしたソニーやホンダの話の中にも、現代の海外進出の常識とは少々違うエピソードが語られているように感じていました。
もちろんある程度の資金力があり、技術力があり、現地の強力なパートナーがある会社が不必要なリスクを取る必要はありませんし、多くの日系企業はそのような形式で進出していると思います。
しかし、海外に挑戦したい中小企業、小規模事業者の中にはそうではない会社も多いと思います。
海外進出のリスクといえばリスク回避やリスク移転という手法が選ばれますが、先進国としての安心安全の水準を担保するためにはある程度のコストがかかります。ある程度リスクを許容してでも進出をしたい社長や人材がいるのであれば、そのリスクを低減した上で保有することを選ぶ会社が100社の中に1社くらいはあっても良いのではないか、というのが、今回私が自分自身の体験や見聞きした内容を紹介しながらお伝えしたかった内容です。
日本の素晴らしさと進出先地域の素晴らしさをうまくかけ合わせて売上を伸ばしていく日本企業が増えればと願っています。私も、そのような支援ができるよう精進したいと思います。
■三宅 秀晃(みやけ ひであき)
2011年中小企業診断士登録後すぐにベトナムで様々な事業を行う。2020年旧正月の旅行中にコロナウイルスのパンデミックが発生しベトナムの自宅に帰れないまま日本帰国。支援の幅を広げるべく新しいフィールドへ挑戦予定。東京都中小企業診断士協会 中央支部国際部 部員。
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