グローバルウインド「幻のリビア・プロジェクト」(2021年10月)
国際部 佐々木 隆一
2011年のアラブの春でガダフィ政権が倒れ、その後も内戦で経済が混沌としているリビアであるが、その2年ほど前、私は商社の担当者としてリビアのある化学プラントプロジェクトに携わり、トリポリにある国営石油会社のオフィスを日々訪れ交渉にあたっていた。
当時のリビアは長年の欧米の経済制裁で疲弊した経済を開放する方向で政権の方針が舵を切られようという機運が生じており、西側諸国も同国のエネルギー関連利権の確保に向けて動いていた時期であった。
プロジェクト推進時の私の同国に対する印象は、とても将来性の高い国というものであり、その後の政権転覆を経た現在の内戦状況の経緯はとても残念である。なぜ将来性が高いと感じたのか、その理由とともに、リビアの国情と私の若干の経験談を書かせて頂きたい。
経済
リビアは石油埋蔵量では世界で第10位、生産量で30位と言われている。
しかし他の中東産油国と違って大きな特徴が2つある。一つは地中海に面していること。これは地理的に欧米に地理的に近いというだけでなく、ホルムズ海峡を通らずに輸送できる点で物流上のリスクが比較的低いという点でも有利である。
それ以上に特筆すべきなのは、リビアが人口わずか7百万人の国という点である。つまり人口一人当たりの石油埋蔵量という点では、世界4位であり、これは資源富裕国とされるサウジアラビアやカタール、アラブ首長国連邦に迫る水準である。従って、もしリビアが本格的に石油生産に取り組み、その豊富な資源を大量に輸出できるようになれば、リビアはアフリカ大陸のみならず世界でも、一人当たりの富でトップレベルになりうるということである。
原油埋蔵量世界ランキング(2020年)
ガダフィ大佐が関与したとされる1988年の米国パンアメリカン航空の爆破事件を機に、同国は米国の経済制裁を受け、同国への西側諸国よりの工業製品の輸出は殆ど禁止されるに至ったのであるが、かねてより欧米メジャー石油資本は同国への投資は行っていた。エクソン、オキシデンタルといった企業が石油化学関連のプラントを建設し操業していた。これら建設後40-50年経たプラントを、制裁発動後は国営石油会社(NOC)が運営を担ったわけであるが、補修用の部品などの輸入は非常に困難であった。従って故障を避けるため出来るだけ工場に負荷をかけないように低操業率にて稼働を続けていたが、私がプラントを視察した際に同行頂いたエンジニアの方の印象では、技術レベルは決して低くはなく、とても丁寧に運営しているとのことだった。
リビアの化学プラント
同国の経済開放の姿勢を受け、既に老朽化はしているが適切なメンテナンスをすることで改善を図れるようなプラントに仕上げ、マイノリティの出資比率にて投資を行い、生産性を上げるとともに輸出販売に貢献するという提案を競って行っていた。
ちなみにNOCとの交渉は英語でありコミュニケーション上の支障はなかった。リビアの公用語はアラビア語であり、米国制裁後は英語教育が禁止されたため、若年層は英語を話さない。しかし制裁前に英語教育を受けていたNOCの幹部レベルの英語は比較的流暢であった。
地理・気候
リビアはアラビア語圏ではある一方、アラビア半島の中東諸国とは異なり地中海沿岸国である。世界16位の面積を持つ国土の大半は砂漠だが、トリポリなど地中海に面しいている地域はオリーブなどの緑も比較的豊富である。トリポリはイタリアのシチリア半島から400キロほどの距離であり、東京から大阪より近い。
また地中海にマルタ共和国という小さな島の国があり、そこは英語が公用語なので日本からも有力な語学留学先ともなっているようだが、トリポリからは300キロ(東京から名古屋くらい)で当時はほぼ毎日定期便が飛んでおり、リビアで商売をする欧米人にはマルタに拠点や住居を構えながらトリポリと往復している人も結構いた。
リビア地図
よって地中海沿岸は比較的過ごしやすく、ヨーロッパへのアクセスも悪くないので、もしこのプロジェクトが成就して私が駐在を命ぜられたとしても悪くないかなと思ったりしたものである。西側諸国からの出張者・駐在員候補などを当て込んだ、綺麗なコンドミニアムや有名高級ホテルの開発計画の看板なども目にした。これも、イスラム戒律に厳格で奢侈を嫌う以前のカダフィなら考えられないことであり、経済開放のムードを肌で感じたものである。
歴史・文化・観光
出張中に現地の事務所長の方によく連れていってもらったのだが、リビアにはイタリアやギリシャ顔負けの壮大なローマ帝国の宮殿遺跡が存在する。この地域はローマ帝国の一部だったというだけでなく、何代目かのローマ皇帝(セウェルス帝)はリビア出身であった。トリポリから2-3時間ほどドライブすると、レプティス・マグナという壮大な宮殿や凱旋門や円形劇場、浴場、円形闘技場などが存在する。海外観光客も長らく殆ど来なかったであろうと思われ、手付かずの状態で立ち入り規制などもなかったので、その気になればいくらでも遺跡の一部など持ち去ってしまえるほど無防備な状態。現在内戦中のなか、この遺跡が無傷であることを願うばかりである。
レプティス・マグナ以外にも多くのローマ遺跡があること、ローマとアラブの双方の文化が味わえること、地中海に面している温暖な気候、そして豊富で新鮮な魚介類の存在など、観光地としての条件は多く整っており、もし経済開放が実現して、リゾートホテルなどが進出すれば盛況間違いなしと想像したものである。
レプティス・マグナ 宮殿跡
レプティス・マグナ 劇場跡
宿泊施設としては、首都トリポリには地中海に面する大型の豪華ホテルが1つあり、海外からの出張者はたいていそこに宿泊したのだが、窓からは、一方に一面の青い地中海、もう一方に昔ながらのアラブの旧市街(アラジンを彷彿させる)が広がり、仕事のストレスを癒してくれたものである。
しかしながら、同ホテルは、アラブの春の時に襲撃を受け、多くの人質が収容されているのをテレビ放映で観たときは非常にショックであった。
トリポリの近代的ホテル
トリポリ旧市街
宗教・政治
ローマ帝国時代、オスマン帝国時代を経て、20世紀になってからはイタリアの植民地となり、第二次大戦後は英国の影響も受けたのであるが、宗教的にはイスラム教が浸透している。私は各種プロジェクトで他のアラブ諸国(サウジアラビア、UAE、アルジェリア、バーレーン)にもよく訪問したが、イスラム諸国の中でも、リビアは贅沢を禁ずる習慣という点では、サウジアラビアに並んで最も厳しい国との印象であった。これが宗教的な厳格さゆえか、それともカダフィ大佐の個人的志向によるものなのかわからないが、飲酒に対しては非常に厳しく、また、ゴルフ場を造るのも絶対禁止とのことだった。
カダフィ大佐は20歳代でクーデターを起こし全権掌握して以来の指導者だったのだが、大統領とか首相とかの正式な肩書というものが一切なく、法律的に裏打ちされた権限というのがない不思議な存在で、みな呼ぶ際はカダフィ「大佐」と呼んでいた。彼も高齢化し、その後継者と見做されていた長男は英語に堪能で欧米メディアにも度々登場し、経済開放のムードを醸成させていったのだが、その矢先の政権崩壊であった。
対日感情は決して悪くはなかったが、やはり米国の同盟国である日本に対してカダフィは厳しい見方をしていたようである。
リビアの政情安定を願って
さて、私の担当していたプロジェクトであるが、途中から国営石油会社側の担当幹部が突然交代してしまい、長らく進展のないまま交渉が暗礁に乗り上げてしまった。一方で、対象のプラントに隣接する別のプラントは北欧の大手企業との交渉が妥結したとの報道が流れ、焦ったものである。そうこうしている中で、アラブの春が勃発した。
思えば、国営会社の対応は当初より二転三転し、経済開放に対する国の方針が揺れていたのを感じていた。外資導入などの開放に否定的な「保守勢力」が妨害しているという現地スタッフのコメントを思い出す。また、怪しげなフィクサーのような人物が突然現れ、「自分を通せば上手くいく」などといってレストランに誘われたりもした(当然断ったが)。
国としてのポテンシャルは高いことを考えるにつけ、現在の内戦が無く政治経済が開放されればどのような国になっていただろうか、プロジェクトがどうなっただろうかと思いを巡らせる次第であるが、早く政情が安定することを願うとともに、将来また、地中海を背にしたあの壮大なローマ宮殿を一度は見に行ってみたいものである。
以上