国際部 三宅 秀晃

 昨年より発生している新型コロナウイルスの影響は今もなお続き、海外渡航などは引き続き制限されている状況となっています。私はベトナムで会社を経営しておりましたが、そんなコロナの影響もあり、一時撤退をする運びとなりました。
今回は。私の個人的な話が多くなり恐縮ですが、コロナウイルスが発生してから撤退するまでの間にどのような判断をして、どのような手続きとなったのかをお伝えすることで海外ビジネスの実態を少しでもお伝えできればと思います。私のかなり個人的な経験談となりますが、このタイミングで海外ビジネスに対して書こうと考えたときに、今しか書けない話をさせていただきたい、そう思いました。

ベトナムでの日本人観光客急増に活路を見出した2019年

 2012年よりベトナムで仕事をしておりましたが、紆余曲折あり2018年頃からはベトナムのダナンでの日本人向け観光フリーペーパー事業に注力しておりました。
 本事業は2016年に新たに立ち上げた後に日本人観光客の増加を受けて急成長していた事業であり、今後のダナンへの日本人観光客数増加を見込んでホーチミンのオフィスを閉鎖し、本事業に注力することを決断しました。今まで収益の柱であった他事業の売上が減少してきたこともあり、新たな収益の柱を作るという挑戦でもありました。
 2019年末にはベトナムのLCCであるベトジェットエアが羽田-ダナン便に就航するなど、ダナンを訪れる日本人観光客数は年々急増しており、弊社もエリア内唯一の日本語観光フリーペーパーとしての認知も広がっており、事業環境は完璧でした。

photo1<当社発行の観光フリーペーパー/Amazonで電子書籍配信中>

コロナの影響でベトナムに帰れなくなり・・・

 昨年の旧正月にはイギリスに滞在していました。旧正月が終わる前にはベトナムの社員から「新型コロナウイルスが発生した影響で幼稚園が休校となったので、自宅勤務にしたい」と連絡が入りました。
 ベトナムでは旧正月明けの1月末より全土での学校クローズを決定したのでした。弊社の社員は小さい子度をも持つ女性だったため、自宅での勤務となりました。私もイギリスに滞在していた日本人と「アジアでは新型肺炎が流行っているようだから、終わるまではこちらにいよう」という話をしていました。その後日本に停泊する客船がニュースとなり、引き続きリモートで業務を行っていました。
 当時は、このコロナウイルスはSARSなどと同じくアジアの一部で流行が収束すると考えており、私もその考えのもとで行動していました。しかし2月下旬にはヨーロッパでもコロナウイルスの流行が発生してきたため慌てて航空券を予約してタイのバンコクに飛びました。      当時、既にベトナムはヨーロッパからの入国に隔離処置を実施していたため。タイに入国して14日後にベトナムに帰ろうと考えていたのです。しかし、その後数日で状況は急変、ベトナムは全世界からの国境閉鎖を決めました。ベトナムの居住ビザや労働許可を持っていたとしても入国ができなくなった、そのニュースを知った即日、航空券を予約してその日の夜に日本に飛びました。
 日本へはタイのLCCであるノックスクート便で帰国しましたが、私が搭乗した数日後には運行を停止し、その後経営破綻してしまいました。それぞれの判断が数日送れていただけでも、全く違う場所に滞在することになったように思えます。

オフィスの一時クローズを決断

 3月に日本に戻ってからも引き続きリモートでベトナムの業務を行っていました。ただ、観光フリーペーパーの広告費を回収しようにも既にベトナムは国際線を全停止しており、広告出稿頂いている店舗も休業状態となっているところが多く、売掛金の回収は途中で諦めることとなりました。
 日本滞在はコロナが落ち着くまでの数ヶ月のテンポラリーだと考えていたこともあり、日本全国からAirBnBを検索して安かった大阪のマンションに滞在しました。ベトナムのように安価で2,3ヶ月で借りることのできる物件が日本には殆どないということもこのときにはじめて知りました。観光関連事業での売上の目処が立たなくなり、日本で特に毎日やることもなかったため取り急ぎの売上を立てようとUber Eatsに登録して都内を原付で走り回る日々を過ごしていました。
 その後5月末に半年分のオフィス賃料の支払い期限があった際に、オフィスのクローズを決断しました。正直この判断はかなり悩みました。今借りているオフィスはとても良いところで、また同じような物件を探すと考えるとなかなか難しいと感じていたことや、夏過ぎには入出国が再開することを予想していたために、ベトナム帰国後の事業再開を早めたいという思いもあったからです。ただ、売上の目処が立たない中での家賃負担は厳しく、また戻ってからすぐに借りればよいということで解約を決断しました。
 金庫の鍵をベトナムに郵送し、金庫を全て開けてもらい、全ての鍵、現金、印鑑を取り出してもらい、鍵や大家さんに返し、印鑑だけは日本に郵送してもらいました。現金は残念ながら郵送ができないということで保管してもらっています。
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<現地から送られてきた写真。取り急ぎ全てトラックに積んで移動してもらいました。>

 大家さんからはありがたいことに家賃減額の提案なども頂きましたが、違約金を支払い、解約を進めました。その後しばらくは「この判断は正しかったのだろうか」と考えましたが、今振り返るとこのときに決断できてよかったと思います。

法人の休眠を決断

 その後はベトナム人社員の仕事もなくなり、給料を半額に減額した上で勤務時間を週1日程度に短縮し、会計や最低限の契約書の手続き等のみを処理する事になりました。夏頃には「今年中の帰国は難しそうだが、来年のゴールデンウィークには売上を上げたい」と考えていたことを覚えています。5月の緊急事態終了を受け、入出国の正常化も遠くはないのではないかと考えていました。
しかし、状況は一向に好転することがなく、資金は減っていく一方のため法人の休眠と全従業員の解雇を決定し、失業保険の受給手続きを最後に9月にすべての活動を停止しました。
 そして、現在まで法人は休眠し、ベトナム事業を休止している状況です。休眠手続自体はベトナム側で手配してもらった書類を日本でサイン・捺印して送り返すことであっけなく完了しました。
 実は現在もまさに決算の手続きをしており、現地に社員がおらず、私が渡航できていないことで銀行の手続きができなくなってしまい、現地の友人に色々と手伝ってもらっている状況です。

 よく考えれば当然なのですが、会社の代表者や取締役が海外に長期間滞在し、その後入国できない状態を、日本を含めて役所も金融機関も想定していないと思いますので、このあたりの手続きをどうするのかは現地社員0名となった弊社の今後の課題となりそうです。

ベトナムの事業で重要だったことは日本と何も変わらない

 そんな経緯で急拡大から一挙一時休眠に至った弊社の事業で学んだことはベトナムでも日本でも重要なことは何一つ変わらないということです。

パートナーシップの重要性

 最も重要であり、そしてお世話になったのはパートナーシップでした。一緒に事業を行っているベトナム人パートナーはもちろん、外国人一人で窓口に何度も訪れても対応して頂いている銀行の担当者、会計や税務の会社のサポートが経営上ものすごく力になったことは間違いありません。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA<2016年、ハノイで事業のパートナーとコーヒーを交わしたひととき。写真右が筆者。>

 日本側で営業・販売を行ってくれた会社や、現地で支援いただいた会社など数を上げればきりがないほどの会社・個人とのパートナーシップがあってこその事業運営だったと思います。

契約書の重要性

 契約書の文言を確認することはとても重要でした。例えば入金が遅延した場合の取り扱いや、契約破棄の条件などをしっかりと書いていたために助かったケースもありますし、逆に契約上後から撤回するようなことを全て口頭など記録が残らない方法で伝えるという方もおり、トラブル時には「これは一本取られたな」とその徹底ぶりに驚いたケースもありました。不動産の賃貸契約なども当初はこちら側に不利に作ってくるケースもあったため、具体的な条文を提示して追記依頼などを行うこともありました。

国籍は関係ないと改めて感じた

 そして、海外ビジネスと聞くとつい「◯◯人は・・・」という話をしてしまいそうになりますが、国籍は何ら関係ないと改めて感じました。観光地でのビジネスということもありベトナム人だけではなく中東の方、ヨーロッパの方、アジアの方、様々な国籍の方とお仕事をさせていただきましたが、契約書を見せて内容を互いに確認していくことで和解ができたり、契約を急ぐあまりに契約書を交わしてなかったケースではぐらかされたり、様々なケースがありましたが国籍による傾向は見られませんでした。ただ、打ち合わせ中に声を荒げたり怒鳴りだしたりしたのは日本人だけだったのは印象的ですが・・・。
 もちろん、ベトナム人の中でも良い方も悪い方もいると思いますし最初から日本人を騙すつもりで近づいてくる人もいるでしょう。また、日本人に騙されたような話も一定数聞くことがありました。見かけの丁寧さ、肩書や、同じ言葉が通じる、などというところに惑わされずに一人ひとり相手を見て付き合っていくことが結局重要なのだと感じました。

コロナでの変化を受けて感じること

 実はこの原稿を書いている段階(2021年3月)時点では、ベトナムでのこの会社を休眠後に精算することも考えています。1年前まではコロナによる国境封鎖は全く予想しておりませんでしたが、それが現実となり、住んでいる家に帰れなくなるという出来事が発生したときに、永住権がなくいつ入国できなくなるかわからない国に100%の事業・生活の拠点を置いておくリスクを認識してしまったからです。その間の日本でのホテル代とベトナムの家賃の二重払いも小規模な弊社にはかなりの負担でした。
 ベトナムに入国できなくなってからというもの、現在に至るまでにすべての手続をリモートで実施しているのですが、現地で協力していただいている元社員、そしてパートナーの方々の力が本当に大きいと感じました。政府機関も、銀行も、代表者が海外に長期滞在する前提で制度ができていない中で、郵送や電話を活用してなんとか対応いただいていますし、実はオフィスの退去や私個人の荷物の運び出し、そして荷物置き部屋の毎月の支払いまでも全て元社員が今に至るまで続けてくれています。
 事業環境、具体的には入出国の自由化が再開したところで再びベトナムでは何らかの事業を行おうと考えています。ベトナムではワクチン接種者の入国自由化も始まる機運となっており、来年にはまたベトナムで事業を行える、そう考えています。

※ベトナムでの創業当時の小さくベトナムで事業を始める話は以前「グローバル・ウインド「最低限のコストで海外進出を行うリーン海外進出例」(2019年09月)」として執筆させて頂きましたので興味のある方はご参照ください。

個人的な体験談にお付き合いいただきありがとうございました。この話が何らかの参考になればと願っています。