グローバル・ウインド「タイの波動」(2021年2月)
国際部 阪本 晋
はじめに
2009年から二度目のタイ駐在を経験しました。2年半と僅かの期間でしたが、過去最大規模の政変、未曽有の大洪水と波乱に満ちた時代を過ごしました。現在、タイでは反体制デモの終息がみえず、国民が王室改革を何のためらいもなく口にするようになりました。昨年9月に起きたデモでは、本来、畏敬の象徴である王宮前で堂々と集会が繰り広げられました(写真1)。
2009年当時、プミポン前国王を全ての国民が敬愛していたことを思うと、まさに隔世の感があります。ここでは、波乱万丈の駐在生活を振り返り「中所得国の罠」とコロナ禍に苦しむタイの現状から、将来への展望を俯瞰してみたいと思います
写真1 2020年9月 タイ王宮前の民主化デモ
出典:AFP BB News
1.波乱万丈のタイ駐在
(1) 過去最大規模の政変 2010年4~5月
この事件は、タクシン元首相派のソムチャイ政権が憲法裁判所によって解体されるという司法クーデターがきっかけでした。総選挙を経ずに発足した民主党のアピシット政権への不満が頂点に達し、タクシン元首相を支持する反独裁民主統一戦線(赤シャツグループ)は、同年3月中旬、各地方から続々と集結し、膨らんだデモ隊が、車輛、バイクの隊列をなして一気にバンコクになだれ込みました。
弊社事務所の前の大通りも拡声器と激しいクラクションを鳴らして通り過ぎ、ただ事ではない予感がしました。
4月に入り、デモ隊はバンコク中心部を広範囲に、鳥の巣のような大きいバリケードを築いて立て籠もり政府への抗議活動が展開されました。目貫通りは悉く封鎖され、近づくことは許されず平穏な日常は完全に奪われました。国軍は業を煮やし、デモ隊に向けて発砲、実力行使に乗り出し激しく衝突しました(写真2)。
日本人の報道関係者も流れ弾を受けて亡くなりました。この間、弊社を含む日系法人、在留邦人は行動の自由を余儀なくされ、緊急安全措置で多くの邦人家族が郊外のパタヤに避難しました。
写真2 バリケードを破壊する装甲車
出典:Wikipedia
5月半ばには、市街戦状態に陥り、国軍によりデモ隊が武力鎮圧されました。一連のデモ掃討作戦で、91人が死亡し1800人以上が負傷したとされます。
時の民主党政権は崩壊し、タクシン元首相の妹であるインラック政権が誕生しました。中心地の伊勢丹は焼失し、慣れ親しんだバンコクが見る影もなくその姿を変え、いまだかつて経験したことのない内戦状態を味わった、忘れられない2か月となりました。
(2)未曽有の大洪水 2011年7~11月
大洪水のほうは、2011年のモンスーン期に起きました。7月から始まり3か月以上続いた洪水は、800人が死亡し230万人が影響を受けました。7つの主要な工業団地も浸水し、弊社のバンコク北部ナワナコン工業団地に立地していた工場は2m以上冠水し、一階部分の設備が壊滅しました。
自然災害による経済損失額の大きさでは、当時、東日本大震災、阪神大震災、ハリケーン・カトリーナに次ぐものと言われました。その結果、主要な工場と国中の製造業のサプライチェーンが破壊されました。タイは日系企業の進出が数千社を上回っていますが、大手自動車メーカーや大手電機・電子メーカーなど、日系460社が軒並み被害を受けました(写真3)。
写真3 水没したアユタヤにあるロヂャナ工業団地~手前の工場がホンダ
出典:Wikipedia
弊社でも、先に述べたナワナコン工業団地の工場の一階部分が水没し、船でしかアクセスできず、操業停止を余儀なくされました。実際、近隣ではワニが流れ込むなど近づくと危険な状況でした。そのため、バンコク市内の販売会社内に急遽、防災オペレーションセンターを設営してリモートで工場の復旧、事務運営、再稼働にあたりました。当時の関係者の苦労がしのばれます。
(3)アマタナコーン(以降、アマタ)工業団地との提携
このように短期間に驚くべき出来事が目まぐるしく起こりましたが、前向きな話題もありました。その一つがアマタ工業団地とのクラウドサービスでの提携です。
タイには60以上の工業団地があり、その中でも特筆すべきは、大手工業団地開発会社のアマタコーポレーションが1989年に開設したアマタ工業団地です。バンコクから約60キロ、パタヤに向かう途上にあり、入居社数は500を超え、うち約7割は日系企業という巨大な工場団地です。「パーフェクト・シティ」というコンセプトのもと、単なる工業団地から一つの街、銀行、通信、スーパー、マンション、病院、レストラン、大学他、あらゆるインフラが備わるスマートシティそのものを標ぼうしています。
弊社はそのアマタで、2011年、工業団地内の企業に対し、Web会議やグループウェア、人事給与などの様々なアプリケーションをデータセンターからSaaS型で提供するクラウドサービスを始めました。当時、SaaS型サービスはまだ黎明期であったため爆発的に伸びることはありませんでしたが、時代の先駆けとなりました。
そのパーフェクト・シティのアマタですが、メンバー制ゴルフクラブ、「アマタ・スプリング」を有していることでも有名です(写真4)。ここは、あのタイガー・ウッズや石川遼選手もプレイした屈指の名門ゴルフクラブです。オーナーの教育よろしくキャディのサービスが最高で、楽しい時間を過ごさせて頂きました。
写真4 アマタ・スプリング 17番ホール 浮島グリーン~浮島までボートで移動
出典:旅ランドゴルフ
2.「中所得国の罠」とコロナ禍に苦しむタイ
世界銀行によると、「中所得国の罠」とは、安価な労働力などを活用して経済成長を実現したアジアの中所得国が、産業構造の高度化や技術革新への努力を怠り、時間とともに成長が鈍化し、高所得国への移行が困難になるという考え方です。
タイは、2010年前後では、まさに疑うことの無いアジアを代表する「昇り竜」でした。しかし、その後、賃金上昇や少子高齢化の波により、労働力が縮小する一方、生産能力とコストが高まる中で経済成長が鈍化してきました。タイ経済は、「中所得国の罠」に入りつつあったのです。実際、タイの一人当たりGDPは、先進国入りの目安である1万ドルを目前にして、2018年から現在まで、7~8千ドルの間で足踏み状態が続いています。
それに追い打ちをかけたのが新型コロナでした。タイは移動制限や営業規制など早期のコロナ対策に踏み込んだため、昨年末までは、感染者数、死者数ともに押さえ込みに成功していました。しかし、そうした規制に伴い経済的には大きな打撃を受け、輸出が急激に落ち込んだことで、2020通年でのGDP成長率予測では前年に比べてマイナス7~8%となると言われています。特に、国の経済を支えていたGDPの2割を占める観光業は、外国人観光客、特に3分の1を占めていた中国人が大幅に減り、いまだに深刻な打撃を受けています(下表 写真5)。完全な回復には今後3年を要すると言われています。
写真5 タイ観光は新型コロナで打撃
3.将来への展望
このようにタイは生みの苦しみの時期を迎えていると言えますが、最後に、これからの展望を見てみたいと思います。直面する「中所得国の罠」を回避し新たなステージに向かうための施策は何が考えられるでしょうか。
次の3点の施策を挙げてみたいと思います。それは、まず、①付加価値を高める高度人材の育成など産業構造転換への意識を醸成する、②産業のボトルネック解消や海外最先端企業の誘致に向けたインフラを整備する、そして③自由貿易協定(FTA)などで広域経済圏を創出する、の3点です。ここから、それぞれ見ていきたいと思います。
(1)産業構造転換のために ~ 政治・王政の安定による意識の醸成
タイはASEAN各国の中でも、政治の安定性においては完全に後塵を拝しています(下表 写真6)。現在のタイの政治状況は、これまでのタクシン元首相派と反タクシン派に加えて、軍政支持の保守派と民主化を求める若い世代、という二軸が複雑に絡み合い、米国以上に国民の更なる分断が現実のものとなりつつあります。新型コロナウイルスの感染対策で経済が低迷し、社会の格差が拡大していることへの不満も背景にありました。この混とんとした政治状況を解消しない限り、産業構造の高度化と安定はありません。
写真6 ASEAN各国の政治の安定性および暴動・テロの少なさ
タイにおける現在の学生の反発は、王室も含めて新しい時代のタイ式民主主義のあり方を本質的に問うものです。現プラユット政権が、憲法の改正や王室改革論議など、実質的な民主化を前に進めて、総選挙を実施するなど民意を問う事態の収束が待たれます。タイが「中所得国」を抜け出し、次の飛躍に向かうためには、党派、階層を越え、学生、若者世代が渇望する、リベラルかつ革新的なビジョンの醸成が求められます。この新しいビジョンがあって初めて、民間の活力により高度な産業構造への転換が可能となります。
(2)更なるインフラ整備のために ~ 東部経済回廊開発
タイ政府は、2016 年に産業構造を一新する第4次産業革命ともいえる新国家戦略「タイランド 4.0」を策定しました。「タイランド4.0」とは、今までの「重工業」、「輸出指向」、「外資導入」の発展段階から、付加価値を持続的に創造する経済社会を目指すことを意味します。この政策ビジョンの中核となるのが、東部経済回廊(EEC: Eastern Economic Corridor)構想です(下図 写真7)。
産業集積が進んだ東部 3 県を特区に指定し、大規模なインフラ基盤整備、都市・住宅開発、観光産業の育成などを含む総合的な地域開発と先端産業誘致を目指しています。東部地域は、製造業、特に日系含む自動車産業の集積が国内で最も進んでいる地域であり、タイの「デトロイト」とも呼ばれています。
インフラ基盤整備では、鉄道、港湾、道路、空港の開発が主軸となります。当初の5 年間で約 5.9 兆円相当の投資予算が計画されています。インフラ開発の目玉の一つは、タイ最大財閥のチャロン・ポカパン(CP)グループが事業権を獲得した高速鉄道です。バンコク近隣の3空港を約1時間で結ぶ路線(全長220キロメートル)を建設します。
写真7 東部経済回廊(EEC)開発マップ
出典:タイ投資庁(BOI)
バンコク東部は、大河が近くにないため洪水リスクも低く、スワンナプーム国際空港からも、輸出入拠点のレムチャバン港からもほぼ 100km 圏内とアクセスも良いです。大手企業など今後は、開発設計から生産、販売戦略の立案までを一貫してこの地域を中心に行う動きもあります。今後ますます、これらの地域の重要性が高まることが予想されます。
「パーフェクト・シティ」を標ぼうしているアマタ工業団地もこの地域にあり、シンガポール型の最先端の技術研究開発を起点とした産業高度化が、この域内で生まれ加速していく期待があります。真の「タイランド 4.0」の実現に向けて、この目玉政策を確実に前に進めてほしいと思います。
(3)自由貿易協定などで広域経済圏を創出 ~ 東西・南北経済回廊
陸のASEANと言われるインドシナ半島地域は、タイを真ん中に、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム(CLMV)、そして中国雲南省からなります。この地域が、一つの投資・生産・消費市場としてつながれば、総面積約230万km2、人口2.5億人の巨大市場となります。大メコン経済圏(GMS = Greater Mekong Subregion))と呼ばれる所以です。
そのGMSを有機的につなげる大動脈となっているのが、ベトナムからラオス、タイを抜けてミャンマーに至る全長 1,450km の「東西経済回廊」、中国の昆明からラオス、バンコクを結ぶ全長 2,000km の「南北経済回廊」、と呼ばれる二つの高速道路です(下図 写真8)。タイはその中心に位置しており、両者はタイで交差します。タイはGMSを繋ぐ二つの回廊の結節点であり、地政学的に非常に恵まれた地域なのです。
タイは、その地政学的優位性を活かし、インドシナ半島全域にわたる効率的な生産、販売、越境EC含む物流全般にわたるトータルサプライチェーンの中心的役割を果たすことができます。タイが主導権を発揮し、ヒト・モノ・カネ・情報の循環を促し、生産地、消費地を一つに束ね、一国に閉じない自由な一大経済圏を創出します。地域の共存共栄が、成熟し老齢化も進む「中所得国」から脱する決め手となるものと確信します。
写真8 南北・東西経済回廊
出典:一般財団法人日本経済研究所 作成
おわりに
ここまで、短くも波乱に満ちたタイ駐在生活を振り返り、中進国の罠とコロナ禍に苦しむタイの変化、そして3つの観点から将来への展望を俯瞰してきました。タイは、現在大きな歴史の転換点にいることには疑いの余地がありません。タイは、数々の貴重な経験と多くの知己を与えてくれた愛着の深い国です。目の前に立ちはだかる壁は高いものがありますが、それらの課題を乗り越えて、かつてのアジアの「昇り竜」としての輝きを取り戻し、新たなステージに飛翔することを願ってやみません。
■阪本 晋 (さかもとしん)
中小企業診断士(2010年登録)、東京都中小企業診断士協会・中央支部会員、国際部部員。電機メーカーをへて現在関連会社勤務。ワールド・ビジネス研究会会員、事業承継支援コンサルティング研究会会員、健康ビジネス研究会会員。