グローバル・ウインド「訪日中国人と在日中国人とインバウンドマーケティング <ビビアン趙さんに聞く>」(2019年12月)
グローバル・ウインド
中央支部 国際部 佐藤圭昭
この夏に深刻化した日韓関係の悪化とそれに伴う訪日韓国人旅行者数の減少にもかかわらず、日本政府観光局(JNTO)の統計によれば9月末の段階で、全体では来日人数は前年を上回っている。勿論日本中を熱狂の渦に巻き込んだラグビーワールドカップに関連したスポーツツーリズムもこの数字に寄与しているだろう。しかし、忘れてならないのは中国からの訪日旅行者により、全体の1/3以上を占める訪日人数が確保されているという現実である。(ちなみに中国旅行サイトの驢媽媽と大手ECサイトの蘇寧易購の調査レポート「2019暑期出遊消費総結報告」によれば、中国人の夏休みの海外旅行の渡航先としては今年も日本が一番人気だった。)
(少なくとも表向きには)穏やかで良好な状態を保っている日中関係によって訪日中国人の増加が安定的に下支えられていることは自明であり、そこに目をつけた企業、自治体、商店街がこぞってインバウンドビジネスに舵を切って久しい。
インバウンド・・・勿論成功している企業もあるが、中には「どうやってインバウンド需要を取り込んだら良いのか未だに分からない。」とか、「実際に代理店を使ってプロモーションをしたが思うような効果が上がっていない。」という声を聞くことも少なくない。訪日中国人は増えていながら、一時は「爆買い」とも呼ばれたような大量購買現象は若干下火になっているとも聞く。
そんな中、中日クチコミというメディアを運営しているビビアン趙さんと面談する機会があった。ビビアンさんと言えば、中国人向けマーケティングをテーマに中央支部国際部主催のセミナーにも数回登壇頂いた方でもあり、本稿を読まれている方の中にはなじみのある方もいるだろう。
彼女によれば、所謂「爆買いブーム」と呼ばれた2015年前後と現在では訪日中国人観光客の購買意識や購買行動に違いが出てきたようだ。一言で表現するのは難しいが、分かりやすい例をひとつ言えば「買い物リスト」の参照先が違ってきているということらしい。
「爆買いブーム」の頃、定説のように言われたのが「訪日中国人観光客は日本に来る前に何を買うかを決めた買い物リストを作成している。そのリストを作成するには専門の紹介サイトを見ることが多い。」という話であった。
ビビアンさん曰く、本国にいる中国人が最近、より多く参照するのが、在日中国人のSNSグループに変わってきたらしい。
関東を中心とした在日中国人の増加(全国でおよそ90万人以上と言われている)と、SNS「微信」の普及により、本国にいる中国人コミュニティと在日中国人コミュニティの間に流れる情報量が急激に増加したことがその原因とのことである。
さて、その在日中国人であるが、彼らについては中島恵氏の著作「日本の『中国人』社会」(日経プレミアシリーズ)に詳しい。
同書によると、埼玉や横浜には中国人が多く住む地域や団地があり、そこにはかつてのマナーが悪いと言われた中国人たちではなく、周囲の日本人社会に迷惑をかけることなく地域に溶け込んでいる人たちがいる。彼らはSNS上の多くのコミュニティグループにそれぞれが属していてその基盤になっているのは微信(We Chat)のグループである。(ご存知の通り、日本でSNSと言えばLINEやFacebook(Instagram)とtwitterが一般的で、微信を使う人は少ない。チャットでの既読表示機能がないからか、日本人ユーザーが少ないからか、ともあれ微信は日本人にとっては少数派だ。)
中島氏も指摘しているが、言語の違いに加え、中国人にとって圧倒的な多数派である微信を使う・使わないで日本人と在日中国人の間には分断とも言える大きなコミュニケーションギャップがあるのが現実である。日本にいながら日本人とは全く違う情報網をもっていて、その中で彼らが生活していることを日本人がどれだけ気づいているだろう、と中島氏は言う。また、情報の分断はコミュニティの分断に繋がる。同書の中で中島氏が紹介している在日中国人のコメント、同じ団地で住んで「一見すると共存しているように見えるが共生はしていない。」はそのことを象徴している。
中島氏がそうであるように、実はビビアンさんもそのギャップと分断に憂いと危機感を感じている一人である。
「昔の在日中国人のイメージはマナーの悪い出稼ぎ集団だったかも知れないけど、今や彼らや彼女らは日本が好きで日本に住むことを自ら選んで生活している普通の人たちです。その存在は本国の中国人からみればある種憧れの存在でもあり、在日中国人の発信する日本の情報は本国の中国人にとって貴重なものになっています。在日中国人に対する考えをもう少し柔軟にして、日本企業にはもっとその構図を活用してほしいですね。例えばマーケティングで。」と彼女は言う。
マーケティング。
日本人にとって中国人向けのマーケティングは難しい。WEB広告の世界では、中国大手モールの運営側がアクセスデータを全て開示してくれなかったり、オウンドメディアでもアクセスデータそのものにノイズが多くPDCAを回すのが難しかったりする。中国人の好きな「クチコミ」から派生したKOL(Key Opinion Leader)を使ったインフルエンサーマーケティングもまさに玉石混交の世界である。
実際、筆者の友人の経験でも、インバウンドや越境ECを狙って中国本土の網紅と言われるKOLに記事を書いてもらったが、アクセスが増えたのは最初だけでまったくコストに見合った宣伝にはならなかったという話も聞く。KOLと広告主企業の間に、中国側でMCN企業(Multi Channel Networks 企業-KOLのマネジメントを行う会社)などの代理店やOTT(Over the Top)と言われるメディア制作会社が介在し、日本側でも複数の代理店が入ったり、更に中国側では独特のキックバックなどの取引慣行もからんで実際の何倍もの出稿料を払わされたりする例も少なくない。また、所謂「さくら行為」や「なりすましアカウント」、ロボットによる見かけアクセス数稼ぎなどにも注意を払う必要がある。
ビビアンさん曰く「日本と中国を比べると、人口が10倍、マーケットも10倍、ただし、競争も10倍、難しさも10倍」となる。
先のKOLマーケティングについてビビアンさんに聞くと、確かに中国本土の人気KOLの影響力は大きいが、日本のモノの良さを伝えたいなら、日本企業のことを良く知っている在日中国人のインフルエンサーを活用した方がスマートだという。「日本に住み、日本のことを良く知り、母国である中国のことも、中国人のことも、中国人の多様性も良く知っている在日中国人を使わない手はないでしょう?」と。
そんなビビアンさんは先日、NUESEという在日中国人でも特に若い女性を対象としたメディアグループを立ち上げた。日本のコスメや装飾品、ファッションは今でも中国人女性にとって憧れであるが、一昔前のように大手の有名ブランドの売れ筋情報だけではなく、中小規模のお店や珍しいブランドなどのレアな情報も彼らは欲しがっている。であるからこそ日本在住の若い在日中国人女性が活躍できる場がある。KOLとしてだけでなく、商品開発や嗜好調査など広範囲のマーケティング活動においても日本企業と、日本に興味のある本土在住中国人の情報ハブとして在日中国人女性は機能できるし、その場を作ることで日本企業、日本人社会と在日中国人コミュニティの仲介役を担いたいという。
最近ではビビアンさんのNUESEだけでなく、在日中国人インフルエンサーを活用するマーケティング会社が増えてきた。「在日中国人_マーケティング」でググると、驚くほど多くの会社が見つかる。先に触れたとおり、微信を媒介とした中国本土の中国人と在日中国人の間での情報量が飛躍的に増えてきたことがこの流れを作っていることは確かだろう。中国本土でプッシュする既存の広告戦略と日本発の情報発信が混在し、より複雑なマーケティングミックスの構築とより高度な情報リテラシーが発注側にも求められるかもしれない。いずれにせよ、選択肢は広がっている。まさにビビアンさんが言うところの「難しさ10倍」であるが、成功すればその先にあるのは「10倍のマーケット」である。
中島氏は「日本国内に中国人が増えれば増えるほど中国人同士のコミュニティが強化されて、日本社会から隔絶された空間を大きくしてゆく」可能性が高いと懸念している。両者が歩み寄るべきで、双方の閉鎖性をお互いに自問する必要があると指摘している。ビビアンさんの活動がその歩み寄りの一助になるかどうか、今後を注目したい。
■ビビアン趙(趙会娟)氏
NUESE(http://nuese.org/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E6%A6%82%E8%A6%81/)代表
職歴:
・一般社団法人中日クチコミ代表理事(2016年~現)
・Alibaba Japan日本コスメバイヤーマネージャー
・アライドアーキテクツ(株)SNS関連新規事業 副部長兼
Vstar(株)執行役員中国向けYoutuber育成
・(株)TOKYO LUXEY台湾香港・東南アジアインフルエンサーマーケティング
・(株)タカラトミーアジア・中国市場マーケティング・セールス、Tmall出店
学歴:
・Globis経営大学院International MBA
・広島大学工学部修士
・中国ハルビン工業大学学士
■佐藤圭昭(さとう よしあき)
2001年中業企業診断士登録 中央支部国際部 東京都立大学院卒
システムアナリスト 上級ウエブ解析士
<参考資料>
・日本の「中国人」社会 日系プレミアシリーズ 日本経済新聞社
https://www.nikkeibook.com/item-detail/26393
・ライブコマースドットコム(大塚孝二氏)
https://www.live-commerce.com/ecommerce-blog/
・中国マーケティングラボ
https://monipla.com/china-smmlab/