グローバル・ウインド「変わりゆくアジアの新興国と新・新興国(2018年11月)
Global Wind (グローバル・ウインド)
中央支部・国際部 佐々木 隆一
私は2社の総合商社に通算で過去約30年勤め、海外関係の仕事に携わってまいりました。最初の6年はマグロやカツオなど水産物の輸出入業務、その後海外留学や外資系企業への転職を挟み、M&Aやプライベート・エクイティの海外案件に数多く携わりました。海外勤務も米国とシンガポールに通算10年ほど経験致しました。本年4月に診断士の資格を取得し、いずれは独立して中小企業の海外展開支援に協力したいと思っています。ただ、日本の中小企業がどの程度海外展開につき関心をもっており支援を必要としているのかどうか、まだ実感として得られておらず、自身の貢献可能分野等をどうやって構築すべきかまだ模索中であります。今後プランを練って3年以内には独立の計画を固めたいと思っています。
現在は商社にて種々の海外投資・買収案件を手掛けていますが、その関係でベトナム、ミャンマーを最近訪問致しましたので、その感想を述べたいと思います。
<ベトナム>
ベトナムにて消費財関係のプロジェクトにつきスタディ中です。主には日本向けに消費財の加工を行うための工場を設立しようというものです。いまベトナムは東南アジアでも最も日本企業の進出先として脚光を浴びている国と思います。かつて80年代のタイを彷彿させるものがあります。日本企業のアジア進出パターンは、安価な労働力を求めて次から次に国を変えていっています。80~90年代はタイ、2000年に入ると中国進出ラッシュを迎えますが、その後日中の政治関係が冷え込み、また中国の人件費高騰を受けて、「チャイナ+ワン」という掛け声のもとに中国以外のアジアに拠点を求めるようになり、その中でも政治的な安定と労働力の安さからベトナムが脚光を浴びてきたわけです。ベトナムは単に工場進出先だけではなく、日本への労働者派遣国としても近年ニーズが高まっています。また、日本だけでなく中国や韓国、とりわけ韓国の進出には目覚ましいものがあり、日本をしのぐ勢いです。もともと韓国は70年代頃から政治的・歴史的にも韓国とのつながりを深めていますが、最近は特にサムソン電子が工場を建設したことが進出ラッシュに拍車をかけています。
ただ、ここにきて少し状況に変化が表れてきているように思います。それは、「労働者の需給ひっ迫」です。具体的には、メーカー間で工員の引き抜き合戦が頻発しており、労賃も急上昇しています。当社のパートナーも、工員募集をかけても以前なら1日何十人も応募に来たのに、最近は10人くるか来ないか、といった状況のようです。また、工場団地の土地も次々と埋まっていき、良い工場立地を探すのも一苦労です。よって工場立地もホーチミン中心地区からの距離がどんどん遠くなってきています。「安いコストを追い求めて」という日本企業の目算がいつまで続くのかわからない感じです。
町並みも日に日に変わっています。ベトナムといえば交通手段はモーターバイクが一般的。ベトナムで「ホンダ」といえばそれはバイクをさします。そしてホーチミンの道では自動車よりもバイクが昼夜、まるで蟻の群れのごとく道全体を占拠しており、道を渡るのもバイクの間を縫って渡らねばならないのがかつての日常の光景でした。しかし最近は自動車の比率が増え、道もかなり自動車が占めるようになりました。これは目に見える変化です。かつて中国では誰もが自転車に乗っていたのが、今では自動車ばかり、という変化がアッという間に起きたことが思い出されます。経済の成長というのはかくも急速に進むもので、日本企業にとっても環境の変化を敏感に感じ取っていく必要性を感じた次第です。
ベトナムは親日国といって間違いではないと思います。日本のODAで作った空港、橋などのインフラがいくつもあり、日越友好の象徴となっています。また、現在ホーチミンでは日本企業コンソーシアムが地下鉄を建設中です。さらに民間消費の点では、例えばイオンが大規模モールを建設し、そこでの日本の商品・食品・レストランはとても高価ではあるものの、現地の人にとっては生活の豊かさを感じさせる憩いの場所となっているようで、日本人として嬉しくもあります。日本のコンビニなども増えており、弁当や総菜類も日本の品質に近いものが揃いつつあります(写真)。
ベトナム/ ホーチミンのコンビニで販売されているとんかつ弁当等
<ミャンマー>
一方のミャンマーですが、6年前から毎年1-2回訪問していますが、この国も訪問する都度、街の風景が変わっていくのには驚かされます。例えばインターネット環境ですが、6年前は一流ホテルでもロビーでないと繋がらなかったのが、半年後には部屋でも繋がるようになり、1年後には道路でも繋がるようになり、ヤンゴンに関する限り今やネット環境に不自由は感じません。交通事情に関していうと、6年前は中古車ばかり(ほとんど日本車)、それも日本で使用されなくなったバスやトラックが、会社名も消さないまま使われていました(写真)。新車は殆ど見かけませんでした。また、道もすいていて、ヤンゴン空港から市の中心部への移動も30分以内と至ってスムーズでした。
それが、年々新車、あるいは中古であっても新しい車が増え、最近はベンツなどの高級車を見かけることも珍しくありません。また、道路の混雑状態はひどくなる一方で、空港から中心部への移動も2時間ほどかかることも珍しくありません。ミャンマーがベトナムのように地下鉄建設を手掛けるまでの経済規模に達するのはまだ先でしょうから、当面はこの渋滞は続くと思われ、海外から進出する企業にとって悩みのたねとなりそうです。
ミャンマーは以前、東南アジアでも日本企業の進出先としては存在感が大きく、商社などの支店の規模も東南アジアでは大きかったのですが、90年代の米国の経済制裁をきっかけに外資が一斉に手を引き冬の時代を迎えました。2013年に米国の制裁が解けると同時に各国の進出ラッシュが始まりました。日本の各企業も「ミャンマー詣で」が凄かったのですが、日本企業は現地に来て視察ばかりするものの何もアクションを起こさないので“NATO”(No Action Talk Onlyの略)などと揶揄されていました。
それが漸く最近、日本企業の存在感がミャンマーでも高まっているように感じます。日本の商社連合とJICAが共同で現地政府と合弁で設立した、初めてかつ唯一の外資主導の工業団地であるティラワ工業団地において、第一期区画が海外進出企業(日本企業だけでなく他の大手アジア企業や欧米企業も入居)でほぼ満杯となり、現在は第二期区画を造成・募集中です。ティラワ工業団地で事業を行うことで、とかく複雑・不透明な政府の事業許認可がスムーズに下りる、インフラやユーティリティも整備されているというメリットが外資企業にはあります。
またヤンゴン市内中心部の不動産プロジェクトの大きなものが複数、日本の建設会社が主導し進められています(写真)。これらを見る限り、NATOという汚名は返上して良いのではないかとの印象です。
ただ、日本企業が目立ち始めた理由の一つに、欧米企業がロヒンギャ難民問題を理由に進出をためらっているという事情もあるようです。スターバックスは難民問題を理由に進出を撤回しました。日本企業は難民問題を軽視しているのではないかとの論調もあるそうです。この問題は難しいところですが、もし日本企業がミャンマーの経済開発に役立っているのであれば、素直に評価してよいように思います。
ベトナムもミャンマーも経済成長と国民生活の向上は間違いなく進んでいます。それにつれ、賃金も年々上昇していますので、日本企業にとっても安い人件費だけを求めて進出するのはリスクがありそうです。むしろ、今後ますます増大する両国の消費需要をビジネスチャンスと捉え、日本の消費財・ブランドといったものを現地で浸透させていく戦略に個人的には魅力を感じる次第です。
例えば、即席めんなど一部の日本の商品は両国で販売されていますが、価格面でなかなか地場の商品に対抗できません(写真)。しかし消費財は一旦消費者に認められると、そのブランド価値は長きにわたって維持することが可能です。そしてベトナムやミャンマーといった国では、マーケティング手法の主流はテレビを飛び越え、既にSNSとなっているようです。
中小企業にとっては、新興国への進出はリスクも大きく難しい点は否めませんが、どのような機会が存在するのか、個人的にもう少し勉強してみたいと思っています。