Global Wind (グローバル・ウインド)
ホーチミン・レポート

中央支部・国際部 山田 昭彦
ご夫妻と山寺詣で

 

これはおかしな日本人を連れてお寺に詣でたベトナム人ご夫妻の話である。

 ホーチミン市の北、カンボジア国境も近いところに、黒い夫人の山と呼ばれる、ベトナム南部の最高峰が聳えている。山頂は900mぐらいで最高峰にしては物足りないが、独立峰なので遠くから見える。戦争中は解放軍が基地を構え、アメリカ軍の空爆に晒された。戦争の跡は今はなく、たくさんの善男善女がロープウェイや徒歩で山腹の寺にお参りしている。
 このお寺と山を訪れる日帰り旅行を企画していたがとにかく情報不足であった。例えて言えば、東京千代田区のホテルに住む外国人が、神奈川県の大山に登るようなものだ。大山は丹沢連峰の東の端にあり、関東平野を一望できる名峰だが、外国人にとって、鎌倉や日光、そして富士山の観光地に比べて大山は情報が圧倒的に少なく、結果的に外国人登山者も少ないと思う。
 たまに黒い夫人の山に登った奇特な外国人が登山記をインターネットにアップしくれても、それは山やお寺やロープウェイの説明であって、東京からの足については、車を1日ドライバー付でレンタルしたケースであり、地元の公共交通機関で行く場合の情報はない。それでもいろいろなネット情報をつなげてみると、差し詰め、大山に行くには新宿から厚木への交通があるらしいとわかってくる。
 そこで、丸の内のホテルから地下鉄で東京駅へ行き、乗り換えて新宿まで総武線で向かい、後は新宿やその先の厚木で登山方法を調査することにして、とりあえずある休日に出かけてみた。手元にマップがあるのでそれに従うと新宿に着く。厚木行きの便も見つかった。ところが、その便(バス)に乗ろうとすると、周りの運転手や車掌さんから他の便を勧められ、不安であったが素直に従った。これが不安に満ち、同時に素晴らしい旅行の始まりであった。
 ここから話を現場に戻す。ちなみにベトナムには地下鉄も都市通勤鉄道も2020年までは存在しない。現在日本の援助で工事中である。庶民の足はバイクかバスであり、最近は自家用車が少し増えてきた。さて、バスターミナル(新宿駅と思ってほしい)から満員のバスの一番後ろに座って、目的地を車掌さんに伝えると大きくOKと頷いた。ホーチミン市街から離れるとベトナム解放戦線が地下トンネル基地を掘ったクチという町を通過した。クチは山へ向かう北の方向なので、大丈夫だと安心して車窓の風景を楽しむことにした。クチは豊かな郊外農村で、野菜、果物、花が盛んだ。クチを過ぎると次の乗り換えバスターミナル(例では厚木)が気になる。田舎の国道をずっと走ってきたところで、ある大きめのバス停に着き、そこで降りるお客がいたのでここかと思い車掌に行先メモを見せて確認したところ、どうも風向きは違ってきて、運転手と相談したりまわりをきょろきょろしだした。そしてある交差点で降りるように手招きさた。驚きながら降りてみると、バスの後ろに止まっていた9名乗りのバンに移るように身振りで示した。あとはバンの方で大丈夫と繰り返すので不安ではあるが仕方がない。バンにはすでに6名ぐらいのお客が乗っており、挨拶して乗り込んだが、どうも英語は通じそうもない。発車してみると、次の交差点でバンは右にバスは左にと分かれ走り、ここからどこへ行くのか、帰れるのか、心配ではあるが、男は度胸と決めてゆっくりと坐りなおした。
 大きな町に入った。標識や看板を見るとここがタイニン(厚木市に相当)の町なので、このバンは心配ないと安心した。ところがバスターミナルで乗り換えるのかと思っていると、このバンはターミナルでは止まるどころかどんどん先に進み、まもなく町も後に田舎道に入った。すると前方に三角形の黒々とした山が見える。写真で見たあの黒い夫人の山ではないだろうか。このバンは山までの直行便であったのだろうと推測した。これは大変に運がいい。そして、実際に山の麓の黒い夫人の山の入園所の前でバンは止まった。乗客はみな降りた。バンの車掌がわたしに、手真似でほかのお客さんについていけば大丈夫だよと伝えていた。
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 まず入園料を支払い、広い敷地に足を踏み入れる。バンのお客さんは別々の2、3組がいたらしく、敷地内では別れてしまったので、たまたま前を歩く中年のご夫妻について歩くことにした。ご夫妻は英語を全くしゃべらない。わたしはベトナム語がしゃべれない。ご主人がわたしにトイレの場所を教えるときでも言葉は交わさず、目や手振りで伝える。たまたま持参したベトナム語のガイドブックで「わたしは日本人」という文章を見せると、夫婦で日本人かと目を合わせ、何か納得していた。このお二人とはぐれると町に帰れなくなる恐れがあり、とにかくついていくことにした。
 ご主人はこの場所に慣れているらしく、すたすたと歩き、奥さんが従う。たまにうしろを振り返り、わたしが付いてくるのを確認している。ベトナム語のわからない日本人を放っておく訳にもいかず、付いてくるのは仕方がないとそのうちに諦めたのだろう。山のふもとの広い公園をしばらく歩くと、前にロープウェイの乗り場が見えてきた。二人が切符を買い、わたしが切符売り場に並ぶと往復だよと手で合図をする。往復で15万ドン(750円)はベトナムでは3食分以上なので、かなり値段が張る。6人乗りのゴンドラに3人で乗り込み、山の斜面に沿って高度を稼いでいくと、最初にすぐ下の公園と施設、次に田んぼの平原が広がっていく。遠くには川がくねっている。すこし霞んでいたので、はるか遠くのホーチミン市は見えなかったが、気持ちよく景色を楽しめる。10分で中腹に着く。
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 ゴンドラを降りると階段が続く。ご主人は元気だが、奥さんはちょっと太めなのと、足が悪いらしく、遅れてしまう。3人でゆっくりと歩くといつの間にかお寺の境内にはいり、ぴかぴかの仏さんが迎えてくれる。ご主人が線香に火をつけて、一部を渡してくれたので、一緒にあちこちの仏さんに少しずつ分けていく。境内には100名以上の人びとが集まっているが、みな登山者というよりも仏教の信者で、熱心に祈り、あちこちのまばゆい仏像に線香を手向ける。境内から下界を眺めつつ散策していると、欄干に猿がいて、周りの人びとが与えるお菓子を手で受け取って全く臆するところがなかった。
04-境内.jpg   05-仏像と線香.jpg
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 一時間ほどでお寺は一周したのでご夫妻とともに再びゴンドラ乗り場におりて、オーストリアのドッペルマイヤー社製の真新しいゴンドラで地上に戻った。行きに乗り合わせたバンを電話で呼び、待つ間に茶店でコーヒーをいただき、下界から黒い夫人の山を見上げると、本当に黒い。もともとは火山であったのだろうか、ベトナムに多い石灰岩の白っぽい山とは全く色も形も異なる。間もなくやってきたバンに乗り込んで、しばらく田舎を走り、次の町の定食屋で昼飯とする。ご主人が手で食べる真似をするので、頷いて店に入った。運転手が知っている食事処は日本でも旨いのが相場だが、ここでも同じで、ごはんと汁のほかに肉や魚や野菜で3品ぐらい取り、みな旨かった。サービスの葉っぱは食べ放題で、御主人などはたっぷりと皿に盛っていた。こうして昼が過ぎ、またしばらく走ると、今度は道端の木陰の茶屋に入り、コーヒーをいただく。店には木の間に吊られたハンモックが並び、そこに各自寝そべってしばらく昼寝を楽しむ。うとうとした頃にご主人の合図で運転手がバンに戻り、ホーチミンへの帰路に就く。ホーチミンのバスターミナルまで連れていただき、そこでお別れしたが、本当によいご夫妻に恵まれて楽しい一日を過ごすことができた。一日の登山、拝殿、そして食事の間でも言葉はほとんど交わさず、ジェスチアーで意思疎通を図り、このご夫妻には大変にお世話になった。なにしろベトナム語ができないので、ご夫妻の名前も住所もわからず、本当に失礼してしまった。これからは少しはベトナム語を勉強することとした。ちなみに、まだこの山寺への行き方は依然として不明なので、もしどなたか行かれた方は、道筋を教えて下さい。これから行かれる方の道中の無事と幸運をお祈り申し上げる。
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 お世話になったご夫妻です。黒い夫人の山に登るとまた会えるかもしれません。それまでお元気でお暮らしください。
 ありがとうございました。
■山田 昭彦(やまだ あきひこ)