Global Wind (グローバル・ウインド)
南ア便り第3号

JICA短期シニア海外ボランティア 五十嵐 至

 皆様から寄せられた質問に回答形式で書いていきます。
家庭は?
 私が普段目にするのは孤児・貧困家庭児童の学童保育です。毎日(5歳から18歳が対象ですが、ほとんどは中学生までです)午後学校が終わるとやってきて、昼食を食べ、遊んで帰ります。この子たちの表情には暗さは感じません。皆元気にそれぞれで遊んでいて、私に笑顔で話しかけてくれます。中には民族ダンスをとても上手に踊って見せてくれる子たちもいます。
 家族は、母子家庭や単独世帯には今のところお目にかかったことがありません。たいていは親元に同居しているように思えます。ただ子供がある程度大きくなったり、母親に生活能力が出てくると独立して生活しているようにも思えます。三世代同居という家庭はあまり見かけません。
赴任先は?
 公益法人、1993年に設立し、NPOとして登録されています。社会開発省(厚生労働省に相当)の指定するモデル事業所になっています。またHelp Age InternationalというU.K.に本拠地のある団体(http://www.helpage.org/)に登録されています。
南アフリカでは、この団体の支部(首都プレトリア)のサイトの入り口に(http://www.oldagedcare.co.zaにアクセスしてみてください)紹介されています。ELIM HLANGANANI SOCIETY FOR THE CARE OF THE AGEDのHLANGANANI(シャランガナニ)とは寄り合いという意味です。
 またロゴマークに[Xi Undi Xi Ku Undluli] (Cares for those who cares for you)と謳っています。実際に南アフリカでは、UBUNTU(ウブント、貴方がいるから私がいる)という精神が根付いており、互助精神は崇高なものと思われています。事業内容は、高齢者のためのホームケア、デイケア、孤児や貧困家庭児童のための学童保育、HIV/AIDSの患者のための在宅ケア、青年(18-35歳)の再教育と就業支援事業を行っています。
赴任地での冬の生活は?
 面積が大きく最南端のケープタウンと私の住んでいる最北端のリンポポ省では気候も随分異なるようですが、ここリンポポ省では乾季にあたり、雨は3か月を過ぎても2度ばかり降った程度で、それも1度は夜間就寝中だったので、降ったことさえも気づかずにいました。日本のように渇水の心配が無いのかと心配になります。実際には井戸水が殆どなので誰も話題にしていないようです。
 一方気温は最低が5度前後、最高が21度程度です。朝晩の冷え込みが室内の温度を冷たく感じさせ、午前中は寒さのせいで職場での話題は寒い寒いの連発です。他の職場や家庭内ではどうなのか分かりませんが、私の職場では暖房はありません。したがって女性はスカートの上に毛布のようなものを巻いて身に着け、皆冷え切った体を太陽の日差しを求めて室外に出ます。
 職場の性格上(生活困窮者の為の救援、生活困窮児童や孤児の学童保育)暖房費にまで回せないのか、或いは意識してのことなのかは不明ですが、寒がりな私にとってはとても辛く、もっと対策をしてくればよかったと反省していますが。職場では冷え切ってくると、紅茶をいただくか、室外に出て暖をとるようにしています。
 それでも、余りにも寒いので思いつき、ホッカイロをネット通販で購入し、友人の好意で、国際郵便で送っていただきました。早速職場のスタッフ、特に女性たちにプレゼントして喜んでもらっています。職場の仲間たちに試してもらい、有効であれば大量にと試みたのです。皆、良かったら売りたいとなったのですが、残念ながら実現しそうにはありません。1個あたり50g位なのですが、300個で15kg程度にも相当し、国際郵便(空輸)送料が4万円を超えてしまったことが解りました。これでは購入価格の4倍以上にもなってしまいます。ただ、首都プレトリア(ここよりも寒いのですが)事情をJICAに尋ねたのですが、商品としては普及していないようです。
———- クルーガー国立公園体験 —————-
 5月後半にはこの話が出来上がっていたようですが、職場の関係者(主に社外取締役と世話役)が私の為に基金を募って旅行を企画してくれたのです。前日までは人数も誰が行くのかも聞かされていませんでしたが、前日になって17名もの大勢の団体になっていたことを知り驚きました。皆我も我もと応募してくださったのだと聞いていましたのでとても有難く思いました。
 朝5時半に会長宅(車で1分)に行き、そこを起点にバス(貸切ハイヤー)が迎えに。途中何人かを拾って、総勢18名の旅でした。職場のスタッフの一部(年長者と副理事長夫婦)、外部取締役や応援団の人たちです。皆40代以上ですが、添付の写真でお分かりいただけるでしょうか。
 運転者兼ガイド役も取締役の一人ですが、どうやらこの人の職業が貸切バスの運営をやっているようです。
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   写真1(クルーガー国立公園地図)     写真2(応援団と共に入り口で)
 2時間といいますが、地図で見ていたイメージでは200km以上離れていると思っていましたが、どうやら120km程度の距離のようです。最高速度100km程度のスピードで、それほど高速でもなかったのであっという間に到着という感じでした。私は助手席に座らせてもらえ、運転者が途中いろいろガイドと話しかけてくれたので時間が過ぎるのを気づかずにいたようです。こちらでは一般道路の最高速度規制が100kmです。全ての道路ではありませんがいつも走っている主要道路はこれに準じます。
 ゲートで入場料を支払い(約620円)、小休止をして、いよいよ出発、途中今日は象とシマウマや運が良ければといった話を聞いていたのと最初のころはなかなか遭遇しないのであまり期待できないと思っていました。特にライオンなどは早朝かあるいは夜でないと遭遇できないと言われていて、今日は見られないと予め聞いていました。最初に目にしたのは、インパラ(驚異の跳躍力、ジャンプ幅9m、高さ2.5mに及び南アフリカ南東部に生息する体長110~150cmの草食動物)で、変わった角(長さ75cmオスのみ)の生えた鹿のような動物です。
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                      写真3(インパラ)
 その後、象の群れが遠くに見えましたが、遠すぎて両方ともあまり実感がわきませんでした。そのうち次々とシカの仲間や象(単独)を見かけるようになり、撮影の為窓を開けておいたら、ガイド役に窓を閉めないと象などは、人間の気配が近づくと襲ってくるので危険だからと都度窓を閉めるよう注意されました。
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                        写真4(象)
 やがて、川辺に行き、そこではカバが群れをなして浅瀬で昼寝をしている姿を、そしてワニがあちこちにじっと体を寝そべっている姿を見ました。ワニは食後3日位平気で全然動かずにいるのだそうです。
 その後、モザンビークの国境に行き、国境越えを体験しました。尤も出国手続きもなにもせずに足を踏み入れただけです。ここで生れて初めてカメレオンに出会いましたが想像していたのとは異なり全長15cm位で丁度地面の上にいたため、色も土色になっていましたが、変化を見てみたいなと思いました。
 続いて、バッファローやシマウマ、キリン(この時はたった一頭しか見ませんでしたが、ガイドの説明では、近辺に仲間が居るのだそうです)と象が一緒に至近距離に居るのを近くに見ることができました。写真では近くに見えますが、全てズームを最高にして望遠で撮っていると想像
してください。
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 写真5(キリン・象、珍しい光景です)           写真6(シマウマ)
 この公園は国境沿いに南北約350km東西約60km、総面積は四国に相当する約2万平方キロメートルの範囲にあるようですが、その中を総延長約2000kmもの道路があり九か所の入口と幾つものキャンプ場があり、中には高級宿泊施設もあるようです。
 この日、象を沢山見ることが出来ました。群れが川で水浴びをしたり、体をこすりあって汚れをとっているのでしょうか、結構間近にみることができ感激しました。ただ、アフリカ象は体が大きく、気性が荒いとうことは知っていましたが、実際人間が異常に近づくと襲ってくるというので緊張感も味わいました。
 帰路についたのが夕刻16時30分位ですが、この時に偶然すごい光景に出合いました。イボイノシシ(Warthog)と言う動物で全長1m位でしょうか、これをジャッカルが食べているところに遭遇したのです。実は見えたのは鷲が木の上から様子を窺っているのに気付き、この鷲を見ようとして停車したのです。その下では、ジャッカルが何かを食べているというので目を凝らしてみたのですが、当然遠くなので具体的には解りませんでした。そのうち警備隊がやって来てライフルを持って偵察にいったところ、いきなりジャッカルが一目散に逃げ去り、警備員がその食べられていた動物をぶら下げてこちらに近づき見せてくれたのです。それが頭の部分だけ、あとは血の付いた骨の周囲と尻尾だけですが、前述の動物でした。(残酷な写真なので、添付しようか迷いましたが、参考までにお送りします)
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                    写真7(イボイノシシ)
 そこで説明されたのが、この動物を最初に捕獲して食べたのはレオパード(ひょう)で、そのあとでジャッカルがありつき、夜になるとハイエナがこれを骨まで食べてしまうのだそうです。木の上でチャンスを窺っていた鷲がありつけるのは、ハイエナの来る直前なのかもしれませんね。
 というわけで、自然界の摂理を最後に見ることができたのはラッキーでした。帰宅できたのは夜の8時過ぎでした。
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赴任地の文化と習慣
 先ず気になったのが、男女の役割とパワーです。発展途上国なので当然と言えば当然なのかもしれませんが、どうやら男性優位社会のように見受けられます。男性は2人以上の女性と結婚可能、
日本のように婚姻届をする必然性はないようです。それでも子供が誕生すれば出生届は出すようですが、父親の名を記す必要があるのかは不明です。
 クルーガーに出かけた際、とある町で停車し、ガイドの説明を受けたのですが、そこに昔100人以上もの女性と結婚した男性(医師兼事業家)が住んでいたというのです。子供の数は3人平均とすればすごいことになりますね。それも1人の女性が多い場合には10人を超える子供を産むそうです。
 男性は妻が職業をもっていても家事に携わることはないようです。ただ家の補修や庭の手入れなどは夫の役割で、これを妻は役割の分担と考えているようです。
男性の権威(男尊女卑の表れ?)
 クルーガーに行った帰路に気づいたこと。車中アルコールは持参していかなかったのですが、帰路、やはり男性は飲みたくなったのでしょうか、アルコールの売っている場所に立ち寄って、とあるバーに立ち寄りました。17時を過ぎていましたから通常の酒屋は閉店後です。あるのはバーと言われる居酒屋とでも言うのでしょうか、但しつまみは置いていません。そこで何やら交渉しているのですが、値段が高いのか引き揚げました。ところが次の町でも同じようにバーを訪ね値段の交渉を繰り返し、ようやく4軒目でウィスキー1瓶を購入していました。
 驚きは、ここまでで皆さん長旅疲労が出ているだろうに、この間、女性たちの口から一切不満の声を聴かなかったことです。
女性の地位
 私の職場に限定されるのかもしれませんが、理事長(78歳)と副理事長(43歳)は女性です。福祉事業の性格上もあるでしょうが、管理者に女性が多いのです。というよりは女性の方が良い仕事をしているように感じます。
 高齢者のために、地区ごとに民生委員のような役割の人達がいるのですが、22名のうち21名が女性です。また地区長のような役割をもった人たちも28名いるのですが、ほとんどが女性です。といっても当然高齢者が多く、このなかでの男性の比率はとても少ないのです。この地域での男女の人口比率は45%対55%です。(2011年人口調査)平均寿命は著しく低い(50
歳代)ですが女性の最高年齢は100歳を超えることを知りました。高齢者層で女性の比率が高くなるのは日本でも同じですが。
結婚と子供
 前述のように結婚は男性優位のようですが、それでも男性は結婚をしようとする場合には、女性の親側に相当額の結納金を支払うことになっているようです。そのため男性は生活資金が整わず、結婚時期を先送りしている場合もあるようです。この習慣については周囲の人たちに聞いてみた結果で、結納金を支払うのは当然と考えているようです。両親とも他界している場合にはどうかと尋ねたところ、女性の兄弟に支払うと言っていました。
 身近な(私のステイ先のおばさんもそうです)人たちに結構10代で子供を産んでいて、夫が居ない母子家庭の人たちが多いのです。気になって、一歩踏み込んで尋ねてみたのですが、当事者の女性たちの価値観では子供の教育に父親の存在は不要というものでした。したがって当事者である女性たちは結構生活上の苦労はあるようですが、養育費負担は父親にあると言っていたのと、子供の養育費は国が18歳までの期間の最低保障月額R300(3千円相当)はしているようです。
 国連の21世紀開発ゴールプロジェクト(MDGs)最大の目標は世界から1日当たり1.25ドル以下の生活困窮者を失くそうというものです。
 南アフリカも、幾つかの分野では到達可能と想定していますが、失業率が40.8%(2012年現在)、HIV/AIDS(感染者20%超)などは未達と想定しています。これに対して日本政府はODAの一環で、アフリカへの支援活動を今後強化していくようです。JICAのボランティア派遣はその中に位置づけられているというわけでした。私自身、恥ずかしい話ですがここまでは知らずに派遣されてきました。
 前置きはさておき、このMDGsの中に若者対策として、10代の妊娠を失くそうという目標があります。従って、国としてもこの課題に取り組み、若者への健全な精神と性に対する教育を徹底させようと努力していることを知りました。私の職場でも18歳から35歳までの若者向けに再教育と就業支援事業を行っています。コンピュータ教育もあって、私も一部活動を担っています。
 身近な周りの人たちの実態はさておき、あるべき姿はやはり成熟した大人の世界では、10代での未婚の母や、父親の居ない子育てが決して当たり前とは言えないことを認識している身近な人たちがいることを知りえたことは嬉しいことでした。
これまでの活動の成果
 現地の地方紙(6月20日掲載)
 6月6日には社会開発省(日本の厚生労働省に相当します、ここが要請し日本から派遣された第1号が私でした)から私の様子を視察に見えました。その時には少数で会議をするのだろうと想像していたのですが、高齢者の人たちを招いて、私の歓迎のための式典が目的であるということは当日会場に行くまで知らなかったのです。私もスピーチをすることになり大慌てでしたが何とか無事に評価されたようです。この時に地元新聞の取材を受け新聞に大きく掲載されました。
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                     写真8(新聞)
 翌日近くのマカドという大きな町にパソコンショップと買物にでかけたのですが、パソコンショップ(何度も行っているので顔馴染みで親切にしてもらっているアラブ系の人種で奥さんは白人)に入った途端、「ITボランティアがやってきた」と言われびっくりでした。
——— 首都プレトリアへの上京 —————-
 7月3日から6日まで、ボランティア活動報告会と安全教育を兼ねた会議があり、首都プレトリアに出かけました。ある意味でご褒美のようなものでしょう。
 久し振りに都会の空気と、食事、それに多くの日本人ボランティア仲間と会うことができました。
 ただ気温は最低気温が2度前後、最高気温が18度前後ととても寒いです。
 報告会では7月から来アした6人の新たなボランティアの歓迎と、現在までに活動中のボランティアの仲間たちの活動ぶりを紹介する時間が設けられていたのですが、皆それぞれの分野で精一杯頑張っている様子を知ることができました。中には生活用水を汲むために離れたところへ行き、それをヒーター付のバケツで温め、行水で生活をしている青年が明るく話してくれたことは脱帽です。私の職場は地理的には田舎ですが、水道水が飲み水として飲めることや、温水がでることなど、とても恵まれたところに配属されたことを改めて認識し感謝しています。
 なお参考までに、南アフリカの国花はキングプロテア(花の王様)というのですが、宿舎ゲストハウスはブルックリンという大使館街がある地域には日本でいう、桜並木に相当するジャカランダ並木が続き、11月から12月にかけて一斉に紫の花を咲かせるのだそうです。桜よりも長期間咲いているそうで長期滞在のボランティア仲間たちが楽しみにしているようですが、残念ながら私は鑑賞することが叶いません。
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                    写真9(ジャカランダ)
 首都プレトリアには大使館とJICA事務所があって日本人はこの関係者のみが住んでいるとのことでした。日本食のお店も1軒のみで台湾人によって営まれているようです。歓迎会をここで行い、初めて口にしました。上京中は徒歩10分ほどのところにある大きなブルックリンモールというショッピングセンター街に出かけましたが、迷子になるほどの大きさです。この中の1階にレストラン専門のフードコートが並んでいて寿司も食べられる海鮮料理店もあって賑わっていましたが、多くは富裕層の白人が占めていました。
 一方首都から50kmほど離れたヨハネスブルグには商社やメーカーなどに勤務する1000人ほどの日本人がおり、ここには日本人学校もあるようです。
■五十嵐 至(いがらし いたる)
大学卒業後、日本IBMに勤務。中国駐在などを経て、2000年に50歳で早期退職して郷里山形県米沢市に帰郷。国際協力機構(JICA)の短期シニア海外ボランティアとして2014年4月から南アフリカ共和国に派遣されている。職種はPCインストラクター。