グローバル・ウインド アンコール遺跡群紀行(カンボジア)(2014年5月)
Global Wind (グローバル・ウインド)
アンコール遺跡群紀行(カンボジア)
昨年ポスト・チャイナ、プラスワンで脚光を浴びるGMS(グレート・メコン・サブリージョン)のベトナム・ホーチミン市視察の折に、日本からはまだ定期直行便の無い隣国カンボジアのシュムリアップへ1泊2日で足を伸ばし、主に12世紀頃に建立された世界最大の石造寺院で世界遺産として名高いアンコール遺跡群を訪ねる機会を得ました。
「アンコール・ワット(以後ワット)」は王都の寺院、「アンコール・トム(同トム)」は偉大な王都との意味です。ワットは推定60万の人口を有する世界最大のクメール国王スールヤ・バルマン2世が、のべ4万人と30余年を費やして建立し、1992年に世界遺産と同時にガラパゴス諸島同様に荒廃が進む危機遺産としても認定されました。
この遺跡群はギリシャ・ローマ遺跡より大規模で、使用した石材量はエジプトのピラミッドを凌ぎ、アンコールから約40Km離れた山から運搬された由です。ワットも正確に東西南北に建設される等、エジプトやマヤ文明同様に高度な科学技術力が覗われます。世界遺産で人気トップとなり訪れる観光客数は内戦後の年間12万人から20年を経て今や360万人へ30倍に増加、逆光で撮影に向かない午前中は人影も疎らだったワットに早朝から人が溢れ返っていました。以下はその際の歴史経済面での断片的な7つの私的見聞を紀行として綴ったものです。(E&O.E.)
アンコール・ワット アンコール遺跡群
1.宗教的変遷:
ワットは元々ヒンズー教のピラミッド型寺院として建立されましたが、現在は深いジャングルで仏教寺院になっています。ルネッサンス前に開花した華麗で高度な芸術の壁面彫刻にも、「乳海撹拌」というヒンズー教のヴィシュヌ神の天地創造の物語絵巻が約50mにわたり彫られています。宗教による内紛や異教徒迫害は、欧州11世紀からの十字軍派遣を始めとして枚挙に暇がありません。宗教的厳格性が比較的弱い日本では理解しづらいかもしれませんが、歴史的にも諸外国では宗教間対立は非常に根深く現在でもその影響は無視できぬため、改宗は困難だったと考えられます。(例えば東のアンコールと並んで世界遺産として絶大な人気を博する西の代表「アルハンブラ宮殿」はイスラム教徒がスペインに建造した宮殿ですが、キリスト教徒のレコンキスタ(国土回復)運動により1492年グラナダ陥落で長らく続いたアラブ人支配からヨーロッパ人の手に戻りました。さらに同じ仏教でさえも日本などの大乗仏教と、現在のカンボジアやタイの上座部(小乗)仏教という相違があり、それぞれの国民生活にも影響を与えています。)
2.クメール王国の繁栄:
ジャヤ・バルマン7世は12世紀に外敵チャンパ軍から王国の危機を救ったカンボジア史上最も偉大な王とされ、高齢での即位後は城壁都市トム再整備、バイヨンやタプローム寺院等を建立しました。彼は以前ワットを築きヒンズー教を崇拝したスールヤ・バルマン2世に畏敬の念を抱きつつも、宗教的には異なり熱烈に仏教を信仰する妻とトムに仏教のバイヨン寺院を建立しました。結局9世紀から600年程続くことになる王国領土もこの頃ベトナムやタイ、ラオスまでを含む最大規模となり、当時の最繁栄国の一つとなりました。彼は国内100カ所以上に病院を建設、無料診療を施す慈悲深い王として知られ、また妻の死後は妻の実姉(熱心な仏教徒)との再婚が伝えられています。
クメール王国(12-3世紀) バイヨン寺院(観世音菩薩の人面像)
3.王位継承方法:
アンコール朝王位はそれこそ現在の北朝鮮の如きカリスマ世襲では無く、日本の戦国時代の如く群雄割拠の中からの自力簒奪戦勝利に依った様です。実力と権謀術数が蠢く中、敵対者を打ち破るか追放、または人質を取り支配下に置く必要があります。従い王位に就くと寺院や王宮も改めて建設したり、廃仏毀釈による破壊等の、ある意味で無駄が繰り返された由(非世襲にては前任者部分否定も権威確立に有益、という現代経営にも通じる概念かもしれません)。
4.天国と地獄(輪廻転生思想):
第3まであるワットの第1回廊の壁面には、ここが劇場寺院と呼ばれる所以である前述「乳海撹拌」と並んで有名な「天国と地獄」の彫刻があります。他国を侵略して残虐行為を行ってきた王の懺悔との見方もありますが、こうした当時の死生観がクメール王国の経済的発展に寄与したとの解釈もできます(今年2月放映のNHKオイコノミアによれば、お天道様を信じることで正しい行いが推奨されるため、契約の信頼関係や治安の維持が図られる由)。また天国には伝説の「アプサラ」という天女が描かれており、この舞いは20世紀後半ポルポト内戦時代の迫害を経て何とか生き残った民族舞踊として復活、現在はシュムリアップ観光の目玉として付近のレストラン等で上演されています。
ワット平面図 天女アプサラの舞い(アマゾン・アンコール)
ワット壁面彫刻(乳海撹拌・天地創造)
5.アンコール遺跡群:
DNA診断等現在も何かと話題のブラッド・ピット夫人アンジェリーナ・ジョリー主演映画「トゥーム・レイダー」の舞台にもなったタプローム寺院。ジャヤ・バルマン7世が母の菩提のためトム近くに建立した大寺院でしたが、今やガジュマルの大木が繁茂した廃墟と化しています。第2次大戦後の内戦でも破壊が進んだワット、トム、バイヨン寺院と並ぶ観光名所ですが、さらにアンコール周辺には多くの遺跡が日本他多数国家等の協力による修復が道半ばで点在しています(歴史家・石澤氏や石工・小杉氏の大奮闘は、以前NHKプロジェクトXでも取り上げられた程です)。
6.仏領インドシナ:
アンコール朝の椰子葉上文字は風化した為、後日13世紀の中国元王朝が派遣した使節・周達観の著作が発見され初めて往時の生活が判明しました。また15世紀にシャムのアユタヤ軍猛攻で放棄されて以来、熱帯雨林で廃墟と化した遺跡群を西欧に再紹介したのは19世紀フランスの博物学者アンリ・ムオです。当地の熱病で非業の死を遂げた探検の際詳細に記述したものが、遺跡保護の大義名分で植民地支配と結びつき20世紀に仏領実現の契機となった由。
タプローム寺院 真臘風土記(周達観/東洋文庫)
王国遍歴記(アンリ・ムオ/中公文庫)
7.朱印船貿易:
江戸時代になり盛んとなった東南アジアと日本との交易朱印船で、17世紀の徳川家光将軍の頃にワットを訪問した日本人・森本左近太夫一房の墨書跡が石柱に残されています。彼は父の菩提を弔い老母の後世を願いつつ仏像4体を奉納しましたが、ワットがインドの祇園精舎であると錯覚したとの逸話があります(15世紀にコロンブスがアメリカ大陸を発見した際に西インドと間違えたことから考えても、当時の世界観から考えてむべなるかなと思われます)。
*雑感:日本でも今年富岡製糸場の登録勧告でブームの世界遺産に指定される程の優れた建造物を、長期間と多大な労力での建設実現には、治水灌漑を背景とした稲多毛作と漁猟や中印交易での流通、戦利品等の経済的繁栄が重要でした。ただ診断士の企業経営者視点からは、宗教や建築、戦争、福祉への過重な国庫負担が、結果的に重税と労役で住民を疲弊窮乏させ、長らく繁栄した国家自体を衰退させ得るリスクも考慮して、ある程度はバランスを取ることも肝要と思われます。今回はこうした過去の偉大な歴史遺産観光から現代経営に学ぶ点も多々ある、と特に感じました。