グローバル・ウインド ボスポラス海峡横断鉄道~トルコ150年の夢~(2014年2月)
Global Wind (グローバル・ウインド)
ボスポラス海峡横断鉄道~トルコ150年の夢~
2013年11月下旬 現地2日間の日程で、トルコ・イスタンブールに出張しました。今回の出張は、10月29日に開業したボスポラス海峡横断鉄道(マルマライPJ)の工事状況等の確認です。限られた時間の中で、私が見てきた、イスタンブールの交通事情等を中心に報告させて頂きたいと思います。
1.トルコ概況 ※数字は「外務省HP トルコ共和国基礎データ」他より
トルコ共和国は、西ヨーロッパ諸国と締結されたローザンヌ条約に基づき、1923年10月29日に成立しました。アジアとヨーロッパ、そしてアフリカとの間に位置し、地政学的な要衝として、また、東洋と西洋の文化や宗教の架け橋として重要な国です。面積は約78万k㎡(日本の約2倍)で、人口は約7,600万人です。国民のほとんどがイスラム教徒ですが、政教分離による世俗主義を採用しているため、アラブ世界のような厳格さはありません。現在は、レジェップ・タイップ・エルドアン首相が率いる公正発展党(AKP)が単独政権を維持しています。今後は、2014年3月に地方選挙、8月に大統領選挙、2015年6月に総選挙が予定されています。
2012年度のGDP(名目)は7,862億ドルで、一人当りGDP(名目)は10,504ドルです。2012年度は、過熱気味であった国内経済に対して政府が抑制政策をとったため、成長に減速がみられましたが、2013年度は回復の兆しをみせています。
トルコ経済は恒常的な経常赤字体質で、海外資金の流入、とりわけ直接投資によって補われています。しかし、反政府デモ等の国内の政治情勢や隣接するシリア等の情勢を考えると、不確実性が高まっているようです。
2.日本とトルコの友好関係
トルコは親日国として知られています。トルコとの友好関係は、1890年9月の「エルトゥールル号遭難事件」に始まります。1887年に小松宮彰仁親王夫妻がオスマン帝国を公式訪問した答礼として、アブデュル・ハミト2世の特使 オスマン・パシャ提督がエルトゥールル号で派遣されてきましたが、帰路、台風による強風で遭難し、和歌山県串本町沖に沈没してしまいました。この時、住民総出で救助と生存者の介抱にあたり、600名以上の乗組員のうち、69名が救出されました。この遭難者に対しては、多くの義捐金・弔慰金が寄せられ、政府も可能な限りの支援を行って、翌年1月には、日本の巡洋艦により無事オスマン帝国に送り届けられました。
1985年のイラン・イラク戦争では、テヘランで孤立していた在留邦人を、トルコ政府が派遣したトルコ航空機が救出しています。1985年3月、イラクのサダム・フセイン大統領は、「イラン上空を戦闘空域に指定し、民間航空機を含めたすべての飛行機を攻撃対象とする」と宣言して、その期限を設定しました。当時の法律では、邦人救出のためでも日本政府は自衛隊機や政府専用機を派遣することができず、また、(ナショナルフラッグである)日本航空も、イランとイラク両国が飛行の安全を保証しない限り臨時便を派遣できない状況でした。期限が迫る中、現地の野村豊大使からの救援要請を受けたトルコのビルセル大使が、トルコ政府に伝え救出が実現しました。期限ぎりぎりに、2機のトルコ航空機に分乗した邦人215名は、無事脱出することができたのです。
※これらの経緯については、児童書ですが、『救出 日本・トルコ友情のドラマ』(木暮正夫・文、相澤るつ子・絵、アリス館)に詳しく書かれています。
最近では、2013年5月と10月の安倍首相のトルコ訪問、2014年1月のエルドアン首相の訪日等により、日本とトルコは単なる友好国としてだけではなく、戦略的パートナーとしてお互いを位置づけています。
3.イスタンブールの交通事情
イスタンブールは、ボスポラス海峡を挟んで、アジアとヨーロッパという2つの大陸にまたがる商業都市です。アジア側とヨーロッパ側を往来するために、陸路ではボスポラス橋(第1ボスポラス橋:1973年完成)とファーティフ・スルタン・メフメト橋(第2ボスポラス橋:1988年完成、IHI他の日本企業が建設)の2つの吊り橋を通るか、フェリーで海を渡るかしか手段がありませんでした。
ボスポラス海峡を横断するフェリー(右はカーフェリー)
アジア側に住居を構え、ヨーロッパ側へ仕事に通う人が多いため、朝夕の通勤時間帯には、橋は大渋滞となります。フェリーでも乗降時間を含めると30分以上かかります。この交通渋滞とそれに伴う大気汚染の緩和、通勤時間の短縮が、イスタンブールでは大きな課題となっていました。
トルコのアジア側とヨーロッパ側をトンネルで結ぶ構想はオスマン帝国時代からあって、1860年には設計図も描かれています。この計画は、何度か実現の話がでたものの、政治的・技術的な理由により消えていきました。そして遂に、日本の有償資金協力に拠って、ボスポラス海峡横断鉄道が建設されることとなったのです。
4.ボスポラス海峡横断鉄道の建設
ボスポラス海峡横断鉄道建設工事は、海峡横断を含む13.6kmのトンネル工事で、4つの駅舎建設と設備工事一式を含んでいます。4つの駅舎は、アジア側のウスクダル駅(開削駅舎)、ヨーロッパ側のシルケジ駅(山岳トンネル駅舎)、イェニカプ駅(開削駅舎)、カズリチェシュメ駅(地上駅舎)から成ります。工事施工の最大のポイントは、世界有数の海流速度(最大5ノット以上)と、上下で逆向きの二層流があるボスポラス海峡で、沈埋トンネルとしては世界最深となる60mの海底下に11函の沈埋函を設置する作業でした。
建設資金は、JICA(国際協力機構)のODAローンで、工事は大成建設とトルコのガマ、ヌロールの3社によるジョイントベンチャーが請負っています。沈埋トンネル等、高度な技術を必要とする工事は大成建設が担当し、近隣対策等が必要な工事はトルコ業者が担当する分担施工方式です。
プロジェクト路線図(2011年2月28日 大成建設㈱プレスリリースより)
プロジェクト縦断面図(2011年2月28日 大成建設㈱プレスリリースより)
工事着工は2004年8月です。2006年12月21日には、エルドアン首相が出席して、アイリリクチェシュメ(発進坑口)で、トルコの英雄の名を付けた2台のシールドマシン(ヤウズとアタテュルク)の発進式が行われました。
沈埋トンネル部は、2007年3月23日に1本目の函体の曳航・沈設作業を開始し、それからは、概ね1ヶ月半に1函体のペースで作業を進め、2008年9月23日に最終11本目の函体の曳航・沈設作業が完了しました。その後、2010年2月にアジア側での沈埋トンネルとシールドトンネルの接合、2011年2月にヨーロッパ側での接合を行いました。これにより、アジアとヨーロッパを結ぶトンネルが1本に繋がり、2011年2月26日の貫通式では、エルドアン首相以下出席者がトンネル内を歩いてボスポラス海峡を横断しました。
トルコには、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国と歴史的な遺産・遺跡が数多くあるので、工事に先立って大規模な発掘調査が行われました。この調査が長引いたため、工期も大幅に延びています(発掘調査に伴う工期延長は、通常、発注者の責任です)。一方、トルコ政府は、トルコ建国90周年となる2013年10月に一番列車を運行させることを強く望んでいました。工期的には、ほとんど不可能といえる状況でしたが、大成建設を中心としたジョイントベンチャーは24時間体制で施工を行い、何とか2013年10月29日に一番列車を走らせることに成功しました(列車運行を優先させたため、契約的には部分完成という位置づけで、これ以降も、シルケジ駅舎等では工事が継続します)。
5.トルコ150年の夢が実現
2013年10月29日、エルドアン首相、日本の安倍首相、各国来賓が参列して、ボスポラス海峡横断地下鉄の開通式典が盛大に執り行われました。式典会場となったウスクダル駅を囲んだ2万人のトルコ国民は熱狂に包まれました。式典の後、参列者はウスクダル駅から一番列車に乗り込み、ボスポラス海峡を列車で横断する初めての乗客となったのです。
『トルコ150年の夢』が実現した瞬間でした。
式典会場を囲んだトルコ国民(列車開通を祝う)
日本では国会会期中の平日にも係わらず、安倍首相がトルコを訪問し開通式典に参列したのには理由があったようです。2013年5月に、安倍首相がトルコを訪問した時、東京とイスタンブールは2020年の夏季オリンピック開催をめぐって競い合っていました。安倍首相とエルドアン首相は、どちらが開催地に決まってもお互いに祝福し合おうとの約束を交わしたようです。2013年9月にブエノスアイレスで、開催地が東京に決まった瞬間、誰よりも先に安倍首相のところに行って祝福の抱擁をしたのはエルドアン首相でした。今回の安倍首相のトルコ訪問は、その時のエルドアン首相の勇気と友情に感銘を受け、今度は自分がエルドアン首相を祝福したいとの強い想いがあったからでした。
私の出張は、アイリリクチェシュメ駅を出発し、カズリチェシュメ駅、イェニカプ駅、シルケジ駅、ウスクダル駅を経て、アイリリクチェシュメ駅へ戻るという行程で鉄道に乗り、駅舎部も確認しました。今まで30分以上もかかっていたボスポラス海峡の横断は、鉄道では1駅(シルケジ駅-ウスクダル駅間)約4分と大幅に短縮されました。
カズリチェシュメ駅に停車中の列車 列車内部の様子
イェニカプ駅舎には、発掘した遺跡のモニュメントが沢山展示されていて、広大な空間の壁面を飾るレリーフからは、トルコの壮大な歴史が感じられます。ウスクダル駅の改札横には、150年前の図面が壁画として描かれています。
イェニカプ駅の展示物とレリーフ
ウスクダル駅改札横の壁画(150年前に描かれた図面)
6.おわりに
トルコについては、このところ、タクシム広場での反政府デモ(現在は鎮静化している)や隣国シリアの内戦の影響、安倍首相のトルコ訪問やエルドアン首相の訪日といったような政治や経済の話題が多くなっています。しかし、トルコを語る際は、その観光地としての計り知れない魅力が何よりも一番となるでしょう。ボスポラス海峡横断鉄道のヨーロッパ側シルケジ駅はオリエント急行の終着駅で、その周辺には、宮殿、モスク、博物館、バザールといった多くの観光名所があります。
グランドバザール
ブルーモスク(スルタンアフメト・モスク) アヤソフィア
通勤には不便なフェリーも、観光客にとっては魅力的で、海上から眺めるイスタンブールの景色は、ひと際異国情緒を誘います。これからは、ボスポラス海峡を横断する地下鉄も新たな観光ルートに加えられることでしょう。往路はフェリー、帰路は地下鉄(あるいはその逆)といったように、ボスポラス海峡の渡り方にバリエーションが増えました。時間があれば、それぞれの駅で降りて駅舎に飾られたモニュメントやレリーフ等を観てもよいかもしれません。
ボスポラス海峡横断鉄道の開通は、イスタンブールのアジア側とヨーロッパ側を繋いだだけでなく、日本とトルコとの友好の絆をより固く繋いだといえるでしょう。
沼田 和広(ぬまた かずひろ)
2008年中小企業診断士登録。1984年 国際基督教大学卒業後、
建設会社で、主に国内・海外作業所の事務管理業務、本社での
監査業務等に従事。2014年1月に独立し、地域・企業の発展を
通じた社会への貢献を目指している。
連絡先:kaz-numata@mub.biglobe.ne.jp