Global Wind (グローバル・ウインド)
オーストラリア・メルボルン今昔物語
   - Nostalgic family trip to Melbourne after 20 years

中央支部・国際部 安井 哲雄

 私は、ここ数年間は主に仕事でアジアを中心に海外に渡航しています。2010年・中国(瀋陽、大連、青島)、2010年・ウクライナ、カザフスタン(2回)、ベトナム、2011年、東アフリカ(ケニヤ、タンザニア、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ)、ウズベキスタン、キルギス、バングラデシュ、2012年、バングラデシュ(3回)、中国(天津 2回)、そして、2013年はバングラデシュ(2回)です。
 プライベートでは、2013年の1月に家族でオーストラリア・メルボルンに旅行しました。1月のメルボルンは真夏で日差しが強く暑いですが、空気が乾燥し日陰に入ると涼しく感じます。元々メルボルンでは「1日に四季がある」と言われるほど、朝、昼、夜の気温差は大きいことが特徴です。
 1990年代の初め3年間、私と家族は勤務先(株式会社商船三井)の駐在員としてメルボルンに住んでいました。一人娘は私がメルボルンに赴任する直前に日本で生まれ、生後3ヵ月の時に妻と共にメルボルンに来ました。メルボルン・タルマリン空港に家族を迎え、3ヵ月振りに娘に会い抱きあげましたら、驚いて泣きました。そして娘が3歳の1993年に帰国命令が出て、メルボルンを後にしました。
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         Hotel Sofitelの部屋より    Eureka Skydeckyよりシティを見る
       右端はSt. Patrick Cathedral
 メルボルンはオーストラリアのヴィクトリア州の州都で、現在の人口は380万人(シドニーに次いで第2番目の大きさ)、商業・工業・金融の中心地です。フィリップ湾の奥に位置し、メルボルン市の傍をヤラ川がゆったりと流れ、川が湾の海に注いでいます。湾にはフェアリーペンギンやシャークも居ます。
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                   Flinders Street Station
 Flinders Street Station – Melbourne, Australiaフリンダース・ストリートとスワンストン・ストリートの交差点にある、1日25万人が利用するターミナル駅。1854年に国内初の駅として完成した建物は、エドワード王朝風の威風堂々たる姿。メルボルンのシンボル。
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 Saint Paul’s Cathedral    South Bankよりヤラ川     Yarra River Cruise
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                 Port of Melbourne Swanson Dog
 当時は16名の日本人船員が乗る「少人数近代化実証船」のコンテナ船 サザンクロス丸が寄港していましたが、今は日本人船員が乗る船は配船されていません。
メルボルンは大阪と姉妹都市です。
 2005年の英国のフィナンシャルタイムズ紙の調査では、英国人が世界で最も住みたい都市のNo1. はメルボルンでした。メルボルンに限らず、オーストラリア人は明るく社交的で、スポーツや芸術を好み、「ワークライフバランス」を重んじています。休日は自宅や公園に皆が集まりバーベキューを楽しむことも多く、キリスト教の教会を中心とした社会的弱者への支援などボランティア・奉仕活動も盛んでした。毎年1月にテニスの世界4大大会の一つである全豪オープンテニス、11月にはオーストラリア最大の競馬レース「メルボルンカップ」が開催されます。メルボルンカップ当日はヴィクトリア州では休日扱い、ご婦人は大きな帽子を着てレースを観戦するのが習わしとなっています。当時、アデレードで開催されていたF1グランプリレースが、今はメルボルンで開催されています。 シティには大きなカジノができています。その他、ヨットなどのマリーンスポーツも盛んです。ますます楽しく、面白い街に進化しています。
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新名所:

 
        ユーレカ・タワーのユウレカ・スカイデッキ (Eureka Skydeck)
 Eureka Skydeck – Melbourne, Australia高さ300m、92階建ての「世界一ノッポな高層マンション」の88階にある展望台。メルボルン市内ヤラ川の南に2007年4月にオープンし、南半球一の高さを誇っています。
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 ハーバーには豪華な邸宅と   アーケードショップ    住所近くのAlbert Park
 クルーザーが係留                         よりCityを遠望
 オーストラリアは白豪主義を廃止した後、多民族多文化(multi-national, multi-cultural)の平和な社会の構築を国是としています。国民の民族・人種は、建国時の英国人(アングロサクソン)を主体に、欧州、東欧、ロシアからの移民、中国の移民やベトナム難民などアジア系の移民、中東イスラム圏や南米からの移民などから構成されます。
 豊かな農業と農産物、新鮮な海産物に恵まれ、エスニック料理も多く、世界中の本場の料理の味を楽しめます。メルボルンから直ぐ近くにヤラバレーのワイナリーがあり、高品質で手頃な価格のワインを楽しめました。しかし、現在はオーストラリアワインの国際的な評価が高く、お値段も高くなりました。
 メルボルンでの3年間は、「人生で何が重要か、生きることの意味」を考えさせられた貴重な時でした。残念ながら帰国後は企業戦士、会社人間に戻り、今頃になって「ワークバランス」を考える次第です。
 1993年の7月の早朝、私と家族はメルボルンを去りましたが、自宅から空港までの車中、3年間の楽しい思い出が次々と走馬灯の如く湧き出て、胸が熱くなりました。その時に、10年後に家族でメルボルンへの再訪を考えましたが叶わず、20年後の今年、娘の大学卒業の節目に、ようやく夢を実現できました。
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        空港のタクシーは黄色で統一  メルボルン市が見えてきた!
 今回の旅行でメルボルン空港に着いた時、空港周辺の面影は記憶にありません。乾燥したユーカリの木と大地と空気は昔のままです。タクシーの車中からメルボルンのシティの高層ビル群が見えた時に「ようやく帰ってきた」実感がありました。歴史的な建築物は大事に保存され、所々に新築の高層ビルが建っています。トラムは健全で、昔の緑と黄色(サッカーのユニフォームにもあるオーストラリアのシンボルカラー)のトラムが減り、真っ白でユニークな形の新型車両が増えていました。
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       市内を循環する古いトラムの   新しいトラム。安全のためステップが
       車内。無料です。           地上面と同じ高さです。
 シティは、昔からの老舗の店舗やレストランと街並みが調和し、街の雰囲気は今も残っていますが、新しいレストランや店舗が多く増えています(20年もすれば当たり前?)。
 当時、メルボルンに大丸が店をオープンし、メルボルン在住の日本人は正式オープンの前日のプレミアム・オープン会に招待され、男性はブラックタイ着用、女性は和服やパーティドレスで参加しました。その後メルボルン大丸はクローズし、その跡地と周辺が再開発され巨大なショッピングモールに生まれ変わり、地階は地下鉄の駅と繋がっています(20年前、地下鉄はなかった)。大丸のシンボルタワーは今もショッピングモールの中に保存されています。ちなみに、メルボルン大丸の初代社長は、現在のJフロントリティリングの奥田会長です。
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                 旧メルボルン大丸のシンボルタワー
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                     Haigh’s Chocolates
 オーストラリアで最高級のチョコレート店。メルボルンにあります。 Good dog!
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         市民の台所 Victorian Market    路地裏のレストランにて
 メルボルンはガーデンシティと称され、市内に公園や郊外にゴルフ場が多くあり、緑が豊かです。シティから車で30分、昔住んでいた住宅と近くの公園を見に訪れました。ふと、20年前の暮らしに想いを馳せましたが、娘の言葉で、直ぐに現実に戻りました。娘は曰く「この家、公園、景色は写真で見て知っているが、私の記憶にはない。思い出せない!?」
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    20年前に住んでいた家とご対面。  娘が遊んだ自宅近くのAlbert Park
    家は昔のままの姿でした。    今も滑り台とジャングルジムがあります。
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          Royal Exhibition Building    Carlton Gardenの大きな木の下で
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        Fitzroy Garden にあるCaptain Cook の生家 英国から移転
 当時、私の勤務先企業の現地代理店の支店長であったBob、私の秘書であったMitsuさんと再会し、昔話と近況報告で盛り上がり、旧交を温めました。Bobは起業してフォワーダー企業のオーナーとなり、悠々自適の生活です。
 あの頃は、ワイン好きな駐在員が集まり、メルボルン・ワイン倶楽部を結成し、毎月1回、日本料理店でワインテースティングとワインの勉強をしていました。主要メンバー全員が帰国後に、東京でメルボルン・ワイン会を再結成し、年に3回ほど集まってワインとおしゃべりを楽しんでいます。
 20年前のタクシーの運転手はほとんどがギリシャ人(メルボルンは世界でアテネに次いで、ギリシャ人の人口が多い。)でしたが、今回来てみると、運転手はほとんどが20代~30代前半のインド人で、驚きました。聞くとタクシードライバーはインドのパンジャブ州出身が多く、オーストラリアで留学経験があるそうです。また、Bobによると、郊外には中国人やインド人が多く住むニュータウンができているそうです。
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      メルボルン動物園 キリンが1匹?  メルボルン水族館にて
 オーストラリアで国民的に人気のある歌にシンガーソングライター故Peter Allenが1980年に作詞作曲したI still call Australia Homeがあります。Peter Allenはオーストラリア、ニューサウスウェールズ州のTenterfieldという歴史的な街の出身で、Liza Minnelliの元夫としても有名です。この曲がオーストラリアで大ヒットして以来、オリビア・ニュートン・ジョンなど色々なミュージシャンがこの曲をカバーし公式行事で歌っています。U Tubeでは二人の歌手によるVersionがあります。オリジナルほどではありませんが素敵です。お楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=QX5UR2leYHA
http://www.youtube.com/watch?v=zqaCzsCSn90
I’ve been to cities that never close down,
From New York to Rio and old London town, 
But no matter how far or how wide I roam,
I still call Australia home.
I’m always travelling
And I love being free
And so I keep leaving the sun and the sea, 
But my heart lies waiting — over the foam. 
I still call Australia home. 
All the sons and daughters spinning around the world, 
Away from their families and friends, 
But as the world gets older and colder and colder 
It’s good to know where your journey ends. 
But someday we’ll all be together once more,
When all of the ships come back to the shore, 
I realize something I’ve always known, 
I still call Australia home. 
But no matter how far or how wide I roam, 
I still call Australia, I still call Australia home
 「僕はニューヨーク、リオ、ロンドン・・・・と世界を旅してきたが、やっぱりオーストラリアが僕の故国・故郷だ・・・」とオーストラリアへの切ない哀愁を歌っています。彼はアメリカで亡くなり、オーストラリアに戻ることができませんでした。私は日本人で日本が故郷・故国ですが、この歌を聞くとPeterのオーストラリアへの気持ちが重なり、オーストラリアとメルボルンを思い出します。2013年の今も、この歌は多くのオーストラリア人から支持されているとのことです。
 1週間と短い旅行期間なので、郊外のヤラバレーとワイナリー巡り、ダンデノン丘陵、グレートオーシャンロード、昔メンバーであったゴルフ倶楽部などを訪問できませんでした。帰路にシドニー空港で、日本では手に入れにくいブティックワインを購入しました。遠くない未来に再びメルボルンとオーストラリア各地を訪問したいと思っています。
 オーストラリアは温帯から亜熱帯に広がり、湿潤な森林山地から乾燥したステップ、砂漠を擁する広大な土地です。自然、ビジネス、産業、観光と沢山の魅力、多様性と見どころがあります。一度、オーストラリア旅行を楽しまれてはいかがでしょうか。その時は、是非メルボルンを旅程に含めることをお勧めします。
 (ご参考) オーストラリア政府観光省 公式ウェブサイト
 http://www.australia.com/jp/ 
s-オーストラリア政府観光省.jpg
安井 哲雄
中小企業診断士(1999年登録)
中央支部所属
中央支会(現中央支部)国際部長、東京支部(現・東京都中小企業診断士協会)国際部長を歴任。
現在はJICAを中心に海外コンサルタント業務、調査業務などに従事するとともに、国内の中小企業の支援活動に参加。
GlobalとLocalの業務の融合を目指し、グローカル経営研究所を主宰。
株式会社ワールド・ビジネス・アソシエイツや㈱中央総合研究所のメンバーに参画している。
その他、人財開発研究会の初代代表幹事を5年間務めた。
専門は、経営戦略、ビジネスプラン、人材マネジメント、ロイスティクス戦略、海外開発など。
「グローバル・ウインド」を創設。