グローバル・ウインド ミャンマーの蘭に魅せられて(2012年9月)
Global Wind (グローバル・ウインド)
ミャンマーの蘭に魅せられて
ミャンマーは、中国、ラオス、タイ、インド、バングラデッシュと国境を接する、仏教徒の国である。軍事政権やアウン・サン・スーチーさんの自宅軟禁などで西側諸国には残念ながらイメージは良くなかった、民主化開放の道を進む現在もイメージは残る。しかし一度この国に来てみると、そのような思わくは外れることになる。
平和で安全、女性が夜間一人歩きしても大丈夫なのはこの国ぐらいであろう。ミャンマーの人たちは戦前戦後一貫して日本贔屓である。
女性の社会進出が目立つ(男性がだらしない?)。日本の男性は勤勉さで、大変もてる。だから日本の女性はミャンマーの自然の美しさ、男性は女性の美しさゆえミャンマーファンの日本人が増加している。ヤンゴン市内を行きかう車はほとんどが日本の中古車である。先日「神戸―灘行」のマークをつけたバスを見た。到着の日、空港内で乗ったバスには「危険物注意」と書かれていた。それがミャンマーの人たちの親日あるいは憧れの証でもあるかのように嬉々として、時にはたどたどしい日本語で話しかけてくる人が多い。
私とミャンマーの関係は2002-2003年の6ヶ月JODCのエキスパートとして「起業家養成コース」をおこなったことからはじまる。2003年のアウンサンスーチーさんの自宅軟禁が始まり、JODC,JICA等の専門家派遣も中断されたが、既にビルキチ(ビルマに陶酔した人のこと)になっていた私は、年間3回は現地を訪問してきた。その間現地に貢献するビジネスを考えていくことになる。今回紹介するミャンマーの蘭は私のホームページ「遊・美・健」に紹介されているので詳しくは参考にされたい。
ミャンマーは地方に行くと貧しい農村地帯が広がるが、花咲き乱れる場所が目につく。
アウンサンスーチーさんがテレビ会見に出るとき必ず亡夫と交わした蘭の花をさしているのに気づかれよう。仏教国であるから菊の花や蘭の花は生活に欠かせない。ここで紹介する「私が魅せられた蘭の花」には特別な貴種であるバンダ・セルリア・クリフ・ブルーという名がついている。バンダセルリアは土に根付かない、他の木にしがみつくタイプである。しかもこの蘭は青い色である。日本のサントリーが青のカーネーション「スターダスト」を開発したが、それとて紫がかった青で、バンダ・セルリア・クリフ・ブルーの青とは違う。
約100年ほど前ベトナムからラオスにかけて青い谷と呼ばれる蘭の密生地があったそうだ。
この蘭がVanda Coerulea (学術名)の群生でした。
それが現在ミャンマー に残るのみとなりワシントン条約CITESの1と指定され研究目的以外は国外に出せなくなっていた。
2004年にこの青い蘭が多量に発見され2005年からCITESの2と指定され、輸入可能となった。2005年9月、無謀にもこの青い蘭を日本に輸入しようとしたのである。(ミャンマーは10月から4月まで乾季)現地の蘭ハンター(山に分け入り蘭を探す人・探検家?)の協力を得てマンダレーから車で数時間タウンジーという町に着く。
ここから山の中にわけいる。ご存知かどうか、インパール作戦に参戦した元兵士の人はいないから、説明しても理解してもらえないが、いわゆるジャングルである。道がない、現地の人にその蘭の情報を聞く、現地の人に採取してきてもらう(根ごとである・生きたまま)。50株達したところでヤンゴンのホテルに持ち帰る。
ホテルのバスルームに保管しながら、商工会議所(この時点では商工会議所の人の多くは、変な日本人の友達になっていた)や研修生に蘭の世話をしてもらった。
商工会議所が産地証明する、ここは問題ない。燻製して虫を殺す。ここも商工会議所の副会頭の友人が局長なので極めてスムーズである。農林省の許可に時間がかかった。
書類ができるまでヤンゴンに待機してくださいと商工会議所の人に言われた。あの人はラーメンさんという、先日亡くなった。大変な迷惑をかけたものだ。飛行機便を延して成田の検疫を通過した時には50株は25株になっていた。枯れたのである。
まずいことに、この青い蘭の話は「趣味の園芸社」で取り上げた。(私が話したからであるが、責任は私にある)愛好家が殺到した。抽選でということになったらしい。
50株と連絡したが25株しかない「何とかなりませんか」と「趣味の園芸」の担当者に言われた。この蘭を知る人は愛好家に多い、日本で咲かせた人はまれである。(いないことはないようだ)それほど環境にうるさい蘭である。
2株を我が家に残し、出来る限りの素人が考えうる環境を作ったが、青い蘭はついに咲くことなく枯れた。たぶん愛好家の方でこの蘭を翌年も咲かせられた方は、その後、何の便りもないことから皆無なのであろう。
バンダ・セルリア・クリフの紫やピンク色はタイやヤンゴンで販売されているのを見かける。日本でも特別な花屋では扱っている。しかしブルーはない。この花はミャンマーの僻地でしか生存しない、まさに貴種なのだ。
その後、蘭の花のビジネス可能性を検討するため日本の切り花企業「クリエイト」の社長と京都市の植物園副園長を同行し現地タウンジーやインレーク湖を探索した。社長は「シンガポール並みの切り花産業にするには10年かかりますね」といわれた。ヤンゴン市内にはKICA(韓国のJICA)が蘭の研究所・園芸所を開設していた。
われわれも基礎からはじめないと蘭のビジネスは進まないことを肝に銘じたが、あきらめてはいない。ヤンゴンに行く毎に当時迷惑をかけた方々に青い蘭は咲いていますかと聞くのが挨拶になっている。
2006年に生きたバンダ・セルリア・クリフ・ブルーにヤンゴンで出会うことになる。青い蘭の精霊もしれない。100人の男性が100人とも振り返る美人である。キンチョーさんというがタウンジーから来たという。イギリス人と中国人とビルマ人の混血による貴種(本人には失礼だが)がもたらした青い蘭である。
シーラトンパゴダでの写真をのせておきますので、11月ミッションで行かれた方で見かけられたら、「日本人です」と言っていただければ「成田から?」と流ちょうな日本語で答えてくれるでしょう。
10年近くも神秘の国と付き合うと、神秘な出来事とも出会うものだ。