グローバル・ウインド バングラデシュの未来(2012年12月)
Global Wind (グローバル・ウインド)
バングラデシュの未来
バングラデシュ国は、どこにあるかご存知でしょうか。こう質問されて、正しく答えることができる人は意外と少ないと思います。
バングラデシュの歴史
バングラデシュ(Bangladesh)は「ベンガル人の国」を意味します。バングラデシュはインドとミャンマーに挟まれた、かって独立前のインドのベンガル地方にあります。西にインドの西ベンガル州、北から東にかけてインドのアッサム州など7州(通称7 sisters)に囲まれ、南東はミャンマーの国境に接しています。国土全体がガンジス(ポッダ)川、ブラマプトラ(ジョムナ)川、メグナ川の三大河川によって作られる世界最大の複合デルタ地帯にあります。ガンジス川とブラマプトラ川には世界の屋根ヒマラヤからの雪解け水と土砂が流れ込み、世界最高の雨量を誇るメゴラヤ山地の水がメグナ川に運ばれます。度々サイクロンが発生し、毎年雨季に河川が氾濫し国土の3分の1が1m以上冠水するといわれます。しかし、この洪水のもたらす堆積土が肥沃な大地を形成し、農業生産が豊かです。また長年の経験と習慣で田畑は低い土地にあり、住居や道路は高い土地にありますので、冠水しても生活に支障はないようです。但し、数年に一度、大洪水が発生し被害を蒙ることがあります。
(リキシャは日本語の人力車が語源。)
バングラデシュは近年に複雑な歴史を持っています。1947年に英領インドが大英帝国から独立しました。その時に宗教上の問題から、ヒンドゥー教地域はインド、イスラム教地域はインドを挟んで東西に分かれたパキスタンとして分離独立しました。当時の東ベンガル(現在のバングラデシュ)はイスラム教徒が多く西のパキスタンに参加し、東パキスタンとなりました。しかし、東西のパキスタンは同じイスラム教徒であるものの、元々、民族、言語、文化が違うためお互いに相容れず、東パキスタンは西パキスタンからの抑圧に反発し、パキスタンからの独立戦争を戦いました。 途中インドの支援を受けて1971年に独立を果たし、バングラデシュが建国されました。
河川輸送が盛んです
バングラデシュ国の概要
バングラデシュは日本の4割ほどの狭い国土に約1億5千万人が住む、世界で最も人口密度が高い国(除く都市国家)です。一人当たり国民所得は低く、貧しい国です。
バングラデシュと日本
両国の国旗は似ています。サイズを除いて、その違いがわかりますか?
バングラデシュの国旗の赤い円は昇りゆく太陽を表し、地の緑色は豊かな大地を表します。また、赤い色は独立戦争で死んだ者の血も表しているとされます。赤い円は中央からやや旗竿(左)寄りに描かれていることが特色です。
インド独立運動で英軍と戦ったチャンドラ・ブースは日本と深い関係がありました。チャンドラ・ブースは1897年にインド(当時はイギリス領インド帝国)のベンガル州カタク(現在のオリッサ州)生まれのベンガル人で、カルカッタ(現在のコルカタ)の大学とイギリスのケンブリッジ大学を卒業。カルカッタ市長を務めた後インド国民会議派の左派、急進派として独立運動で活躍しました。日本が英国と戦争を開始し、チャンドラ・ボースは亡命中のドイツから東京に渡り、東京に住んでいたビハーリー・ボース(中村屋)の後継者としてインド独立連盟総裁とインド国民軍最高司令官に就任。チャンドラ・ボース率いるインド国民軍は、シンガポールからビルマ(現在のミャンマー)のラングーン(現在のヤンゴン)に本拠地を移動させ、1944年に日本軍とともにインパール作戦に参加した後、主にビルマで連合軍と戦いました。日本の敗戦によってチャンドラ・ブースは日本軍関係者の協力で九七式重爆撃機に搭乗し日本経由でソ連に向かう途中、台湾の空港で事故に遭遇し死亡したと伝えられています。
日本は、1972年に主要国の中で先駆けてバングラデシュの独立を承認し、バングラデシュは南アジアで最初に日本の国連安保理常任理事国入りを支持表明しました。バングラデシュは親日国で、一番好きな国にしばしば日本があげられています。在日バングラデシュ人は約1万人、うち留学生は約1,000人います。しかし、中東を中心に在外バングラデシュ人700万人と言われ、それに比べると少ない人数です。やはり日本語は難しく、一つの壁かと思われます。
首都ダッカから南東約260Kmに人口約370万人のバングラデシュ第2の都市チッタゴンがあります。チッタゴンには同国最大の国際貿易港があり、街にチッタゴン戦争墓地(Chittagong War Cemetery)があります。ここには第2次世界大戦のビルマ戦線で戦死した連合軍兵士約700人が埋葬されています。その墓から少し離れたところに一つの墓があり、墓碑を見ると戦争で捕虜となり亡くなった日本兵士18名の名前が刻まれており、同国の人々の日本・日本人への対応が偲ばれます。
私とバングラデシュとの係り
私の海運会社勤務の若い頃(1970~1980年代)には、チッタゴン港から主要な輸出品のジュートが船に積込まれ、港が浅く小さく沖で艀積みのため常時滞船が起きていました。(近年では港湾の設備改善と荷役効率の改善に取組み、滞船は減っているとのことです。)しかし、当時、バングラデシュは勿論、大国のインドにも左程関心はありませんでした。
2000年代の初め頃に当時の中央支会のアジアンワールド研究会(現在、東京協会のワールドビジネス研究会の前身)で東大大学院に通うバングラデシュ出身の留学生の話を聞きました。丁度、シリコンバレーとインドのIT産業が発展している時で、バングラデシュでのITの状況に関心があったのですが、「米国にあるインド料理店チェーンの大半はバングラデシュ出身者が経営している」という話が最も印象に残りました。
2009年に同友館から「アジアからの留学生 ニッポンで起業する!」(共著)を出版しました。その本を執筆するためにバングラデシュ出身のチョウドリ・モーミンウッディン氏に取材をしました。チョウドリ氏はインド生まれバングラデシュ育ち。バングラデシュがパキスタンと独立闘争をしている最中の1969年に日本に国費留学し、東京都立大学大学院で石油工学分野の工学博士号を取得。日本企業でエンジニアとして勤務後、独立起業。現在はNPOを立ち上げ国際交流活動のソーシャルビジネスに携わっています。
この本の一部をご紹介します。
「・・・チョウドリの生誕の地は、インドの北東部、アッサム地方のシロングという小さいが美しい丘の街である。58年後に訪れると、生家はまだ残っていた。町は曲がりくねった坂道に沿って松並木が植えられている。まるで甲虫のようなマルティタクシーというコンパクトカーが走り回っている。・・・(中略)・・・チョウドリが日本人に親近感を抱く理由は、幼少期にある。小学生の時にバングラデシュの南東部にあるランガマティ(チッタゴン管区)に住んでいたことがある。そこの住民の大半はチャクマ族で、モンゴル系の仏教徒の子孫であった。彼らの容姿は日本人に似ており、素晴らしく優しい人々だった。直ぐに親しくなった。・・・・」
私は、いつかバングラデシュに訪問したいと考えていましたが、幸い2011年暮れに、そのチャンスが訪れました。2011年12月~2012年7月までJICAの業務で都合4回、合計72日間バングラデシュに派遣され、バングラデシュの「民間セクター開発プログラム準備調査」に従事しました。本業務ではバングラデシュの政府機関、世界銀行/IFC、アジア開発銀行などの国際支援機関、同国の商工会議所と主要産業の協会・企業、日本の政府機関、日本商工会と日系企業などを訪問インタビューし実地調査を行い、同国の経済と産業、ビジネス環境の実態が見えてきました。また、一般の社会生活や暮らしの実情も肌で知ることができ良い機会でした。前述のチョウドリ氏の話に出てくるマルティタクシーとはバングラデシュのCNGミニタクシーと同形であるとわかりました。また、チッタゴンで日本人に似たアジア系の仏教徒の坊さんが黄色い袈裟(タイやミャンマーと同じ)を着て歩いているのを見て、チョウドリ氏の言葉を思い出しました。
終わりに
バングラデシュは貧しい国で、厳しい自然条件に加えて、社会インフラ(電力、水、道路、鉄道、都市交通、土地)の不足、健康・保健衛生、教育、首都ダッカの過密化・交通渋滞、産業構造の転換、政治の安定化など多くの課題を抱えています。一方、2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行の創設者モハンムドユヌス氏が始めたマイクロクレジットや世界最大のNGO、BRACを初めとするNGOの活動とBOPビジネスが盛んです。日本を始め世界の国の国際協力を得て、近年は社会開発が進み、経済が安定的に成長し、民間企業の活動が活発になっています。バングラデシュには未だ安価で豊富な労働力や大きな国内市場、豊かな農業に恵まれ、創意工夫次第で経済発展のポテンシャルがあります。インフラ改善や人材育成、経済特区の開発と外国直接投資を促進し、将来的には大型船が入港できる大水深港を建設し、同国の産業がグローバルなサプライチェーンの一画に参画することが、バングラデシュの経済・社会開発に貢献し、引いては同国と日本との間にWin-winの関係の構築が期待されます。今後も、こうした業務に参加して同国の発展と日本‐バングラデシュの交流の深化の一助になればと思っています。
安井哲雄(やすいてつお)
東京協会中央支部国際部。
グローカル経営研究所主宰、株式会社ワールド・ビジネス・アソシエイツ チーフコンサルタント、ちよだ中小企業経営支援協会などに所属。専門は経営戦略、ビジネスプラン、人材・組織マネジメント、物流・ロジスティクス、国際技術協力、国際化支援など。