Global Wind (グローバル・ウインド)
Honey Road from Myanmar to HARAJYUKU honey farm
ミャンマーのひまわり蜂蜜が原宿に来た

中央支部・国際部 名倉 寛恭

 通りは日差しの照り返しを受けて35度はある。前をドラゴンタツ―の女(映画ミレニアム参考)がいく。「ねえちゃん、暑いね、冷たいハチミツ水でも飲んでいくかい」「ありがとう、おいしいね、これなに」「ミャンマーでおじさんが作ったひまわりのハチミツだよ」「おじさん日本人」「千葉のピーナツ畑から来たのさ、毎日来てるよ」「おいしいから又来るよ」「あいよ、夏バテにはハチミツが効くよ」、ここは原宿の竹下通りの真ん中フジイビル2階に7月23日開店した蜂蜜販売店である。
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原宿店にて名倉と支援者の皆さん
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店舗前、原宿竹下通りの日本人?性格は明るいよ
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店舗の横のニコニコ堂にて中川翔子さんのイベントに集まる人たち
 2つ隣のニコニコ堂には中川翔子さんや米倉涼子さんのイベントがある。わーと人が店の前まで広がる。本人は来ないがマネジャーが飛び込んでくる「撮影場所を探してるんです」。私も一緒に探すことになる。そういう点ではここはLocation最高である。
 1階と地下はブランドショップANAPであるが、「とんねるず」がいた(仕事していたのかよくわからないが)、そして私が任されたのが2階である。品揃えはコンセプト「ミャンマー蜂蜜とミャンマー製品」であるから、手織りシルクやルビー細工(これからだが)である。当然ANAPの女子学生等は標的顧客にはならない。
雑然とした竹下本通りから少し横に入った場所にある、横は大人の散歩道・ブラームス通りという。ここを原宿界隈のマダムが散策している。声をかければ上がってくる。「何!蜂蜜だけ。シルクももっと地味なのを揃えなさい!」という会話が多い。
今品揃えを考えている。
 開店すぐ、銀座松屋の店舗デザイナー大倉嬢が来てくれた。「名倉さんあんたボランテイアしてるの」ミャンマーの地図をさして「はいボランティアです」。その後大倉さんからパリ発のメールが来た。「名倉さんのミャンマーに貢献する気持ちよくわかりました、帰国したら紹介したい人がいます」2か月ほどで色々体験している。
 店に入るとミャンマーの香りが漂う。入口に先のサイクロンで船とともに亡くなった船長の形見の大きなミャンマー地図が掲げられている。写真とマークが点々と打ち付けられている。それぞれがこの5年間のハチミツ物語の軌跡である。
 5年前ミャンマーのマンダレー(第二の経済都市で現在は中国の経済圏に取り込まれている)から車で4時間ヘイホーの山並みに立っていた。藤井ハチミツ産業株式会社藤井会長と藤井社長と私はミャンマーのハチミツの蜜源を求めて市場調査を行っていた。
 日本の蜂蜜消費量4万トンの98%が中国輸入品、中国の経済発展と共に国内消費が増加し日本への供給に将来不安が出る。当時藤井グループはミャンマーに資源確保を求めた。私と藤井さんの出会いはそのような理由による。
 ヘイホーでミャンマー養蜂家家族を見学指導した。子供連れで移動している。裸足の女の子が重たい蜂箱の蜜板を持ち上げている。男の子が「お姉ちゃん大丈夫か」家族4人である。重労働で収入は月30USD以下だそうだ。ミャンマーはもともとASEAN最大の蜜源を持つ国である。とにかく地方は花咲き乱れる自然豊かな国だ。
 ミャンマーのハチミツを技術支援(品質管理)することで付加価値を上げ、養蜂家や兼業農家を支援により農業大国ミャンマーに貢献できるのではないか。日本の蜂蜜安定確保にもなり、藤井グループと共同で取り組むことに決めた。
 ミャンマー商工会議所副会頭U ZAW MIN WINさんと相談し、3社の蜂蜜企業を紹介された。
 私たちの計算ではミャンマー全土で10000トンの生産が可能であり、品質改善し日本の規格(国際規格Brix78.5%以上、ショ糖5%以下、水分20%以下、使用不可の抗生物質を使わないこと)に合格すれば日本の市場は6000T程度の受け入れ可能であると資料で説明した。
 紹介された3社からC/Pを決め、指導を開始した。先行サンプルを要求する。社長はわかった、わかった。サンプルを検査して合格ロット(5T)を20Tコンテナで輸入する。ミャンマーは最貧国免税待遇であるから関税ゼロ、コスト的には有利である。ヤンゴン港からシンガポール経由コンテナ船に混載して下関に入る。現在東西回廊がベトナムのフエからタイの国境まで伸びている、この先ミャンマーで回廊はストップする。これがつながれば(ミャンマー政府は日本の借款をあてにして2015年開通を検討しているようだが、そんなに簡単ではなさそうだ)ミャンマーの農産物の日本への輸送は格段に有利になる。
 C/Pの企業で問題が起きた「わかった社長」がサンプルと現物を違ったものを出荷しようとした。L/Cは開けないから出荷後シンガポールの銀行振り込み(ミャンマーにはL/C開設できる銀行はない。2012年現在、三井住友銀行が事務所を出す計画がある)、20Tで約800万円の金額が焦げ付く可能性があった。現地に飛んで「わかった社長」と交渉する。
 現地で困っているときに若い起業家タイジーさんに会う。「名倉さんでしょう。日本の中古車Fuji Cars Japanの皆野川さんの友達ですよね、私タイジーといいます。皆野川会長には中古車で儲けさしていただきました。困っておられるなら、私に任せなさい。こんな時は軍人の力を借りるのがいいです。私は友達に軍人が多いです」「そんなに簡単にいくのか」「この国は軍人の国、蜂蜜も工場も私が作ります」(現在は民主化により軍人の権益は削減されているが当時はこんな感じであった)
皆野川さんは私の悪友だが、友達になっていてよかった。
 原宿店にもすぐ来てくれた。「おい良い飲み屋を探しておいてくれ」「何のこと」「原宿といえばお前わかるだろ」「?」それで一緒に飲みに行くことになる。私のコンサルタント先のオーナー会長だ、ミャンマーで知り合って10年になる。
 約800万円の損は回避できた。藤井さんとの信頼関係はこのあたりから始まる。
 ミャンマーには棗、ごま、百花(混合品)、ひまわりの4種類の蜂蜜が取れる。日本の市場調査で日本人に合う蜂蜜はひまわりと決めた。
そのひまわりハチミツの取れる場所はザガイン州、カレーである。カレーはマンダレー空港から車でインド国境に近い町である。
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 少数民族の町であるから入るには政府の許可がいる。最初のひまわりハチミツが出荷されてきたのは2010年度である。タイジーさんの工場は出来ておらず、政府の蜂蜜課(ミャンマー政府、畜水産省傘下でヤンゴンに工場がある)からの製品である。この時点でもサンプルは現物から抜き取ることはわかっても、品質が一定しない。2011年12月日本の養蜂専門家を連れてカレーに現地指導に行く。現場で指導すれば、蜂蜜を集積し水分を調整する蜂蜜工場も品質管理をし易くなる。
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ザガイン州カレーのひまわり畑(種を取るために作付)
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日本の養蜂家の現地指導2011年12月
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日本の養蜂家の現地指導の状況2011年12月
 現在JETRO現地事務所もミャンマーの輸出促進品には蜂蜜だと発表している。ミャンマー政府は以前から私たちの活動で蜂蜜はミャンマーの輸出品として促進したいと言っていた。JICAも動き出した。藤井さんと私は年に数回はミャンマーに蜂蜜指導に行く。私の時代に6000Tの輸入は夢だが、若い人に後を託す。
 藤井さんからは原宿竹下通りの店は「Wheneverで任せます、Whateverではないが」と言われた。私はヒップ・ホップジャズダンスを1年やっているが楽しい。先生は元ブロードウエー・ダンサーの超美人だ。だから私のWheneverは火曜日、水曜日、金曜日、土曜日の12時から18時ということになり、店舗にいる。
 10月になれば品揃えもデザインされる。百貨店への販売も検討している。
友人が扱っているミャンマー最高のナムイン地方の紅茶とのコラボも検討している。
 私の好きな言葉は「まだ何者かになれる時間がある、気が付いたら始めればいい、迷ってるうちに時は過ぎる。あのころと違って、経験と知恵もある。動き出せば、きっと新しい時間が流れ出す」です。
 中小企業診断士、国際部の皆様ご来店をお待ちしています。何かご提案があればお願いします。今連携先を検討しています。
 来店時は携帯09072470888またはnakura@suite.plala.or.jpまでご連絡ください。場所はHP遊・美・健を見てください。