グローバル・ウインド 出張時に現地の人と打ち解ける手段としてのダンス(サルサ編)(2012年10月)
Global Wind (グローバル・ウインド)
出張時に現地の人と打ち解ける手段としてのダンス(サルサ編)
サルサ
今回は国際的な人脈を増やす「娯楽」としてダンス、なかでもサルサについて取り上げます。サルサについては2012年7月14日(土)に長坂先生がご講演してくださった東京協会中央支部国際部主催の「中小企業診断士のための海外業務入門セミナー Part 3 中南米の基礎情報・ビジネス可能性とアイスブレーキングのためのスペイン語」でも中南米文化の1つとして紹介戴いています。
サルサは1つの中南米系の音楽およびダンスのジャンルです。バンドが奏でるノリの良い音楽と、初心者でもすぐに踊れる気軽さ、男女ペアで踊れる楽しさなどがうけて、一部根強いファンがいます。
国際的な人の移動とともに、今や世界各国の多くの都市に広まっていて、ある程度の規模の都市であれば、海外出張時に音楽を聴いたり踊ったりする場は見つけられるでしょう。
ここでは私の各国都市のサルサ体験が現地の雰囲気をつかむのにお役に立てるのではないかと思い、いくつか紹介させて頂きます。
私が経験した各都市のサルサ
国際的な人脈の話となるのに国内の話から始めるのもなんですが、まずはホームグラウンドとなる足元の日本の状況から紹介します。
音楽の方は世界的なヒットとなった日本人バンドのオルケスタ・デ・ラ・ルスが有名ですが、ダンスの方は1990年台に入って六本木を中心に広まりました。
レッスン教室を開催する先生も出てきて、パーティーなども開かれるようになり、日本に定着する素地ができてきたのがこの時期です。習い事がブームになった時期にこういった教室の生徒数が一気に増え、裾野が広がりました。
週末のクラブや、月一回開かられるイベントは満員電車も顔負けの混雑振りで、筆者がサルサを踊り始めたのもこういったブームに乗ってのものでした。
サルサの場に集まってくる人の顔ぶれも多彩で、後に中小企業診断士として知り合った方、他士業の社労士、弁護士、弁理士や、証券会社の方々がいました。
そういった士業の方だけでなく、中小企業の経営者や、FCのラーメン屋店長、老舗料理屋の跡取りなどとの出会いもあり、診断士試験の勉強の際には彼らから聞いた話を思い出しながら勉強したものです。
先にも述べた通り初心者でもすぐに踊れる気軽さが受けて、サルサを踊る中心となる年齢層は30代だったものの、老若男女下は20歳から上は80歳越えの方まで幅広い人が集まってきていました。
テレビ番組でも取り上げられていたブーム時ほどではありませんが、東京でも六本木以外、そして東京以外の都市でもサルサの踊りを習えるところは徐々に広まってきています。
キャンベラ@オーストラリア
キャンベラはオーストラリアの首都とはいえ、カンガルーやポッサムなどの動物が出現するのどかな雰囲気の都市です。政府系および政府との関わりの強い企業が多く、あまり娯楽は充実していないのではと出張前には心配していたのですが、ちゃんと定期的に踊れるクラブもあり、それなりに賑わっていました。
私の場合、日本のサルサ友達が現地に留学していたこと、受け入れ先の仕事相手もたまに踊りに行っていたことなどが幸いし、着いて早々に現地のクラブと人々に溶け込むことができました。
なかでもキャンベラにはAIUという大学があり、東南アジアの若手官僚達が多く留学してきていました。サルサクラブにはそういった方々もいらしていて、現地では仲良くしてくれ、うち一人は後に来日時に私が担当していたレッスンを受講してくれました。留学生さんたちは試験やレポートなど忙しそうでした。そんな区切りの打ち上げの場などではパーティーなども開いていて、そういった場にも友達のつてで呼んでもらいました。
言葉ではない踊り、歌などの芸術活動が多様なバックグラウンドを持つ人が集う場のコミュニケーション手段として有効に機能するのでしょう。
上海@中国
上海には2004年に2回に分けてそれぞれ1週間ずつ滞在しました。
オリンピックが開催される以前の中国経済が上り調子の頃で、街を歩いていてもそういった成長の担い手である街の勢いを感じることができました。
サルサについては、現地で働く日本人が情報を発信してくれていて、どの曜日にどのクラブでイベントが開催中か日本語で詳しく掲載してくれていました。中国語だったら情報収集はお手上げだったので、この情報にはとても助けられました。後にこの日本人は、帰国後に日本の友人と結婚することになります。
上海のクラブは、新世界というおしゃれな地域や、芸術大学の近くなど、日本でいうと表参道のようなイメージのエリアにありました。日本をはじめ他の多くの都市でサルサクラブが繁華街に位置していることを考えると、上海のサルサクラブの立地はそういった繁華街とは異なったエリアに位置し不健全さもあまり感じられません。
当時クラブで知り合った現地の中国人の先生に聞いたところ、「上海のサルサはまだ始まったばっかり」と言っていたので、経済の成長と同じで若い活力で上海のサルサ文化もその頃は伸びざかりだったようです。当時クラブで一番踊りが上手だと私が思った人が実は日本人だった、という状況でした。今行くと現地の中国人の技術も上がって、状況は変わっているかもしれません。
バンガロール@インド
インドのバンガロールでのサルサ体験は他の都市での体験とは違ったものでした。結婚はお見合い、その相性については占いを重視、週末にはヒンズー教寺院にお参り、酒は飲まない、といった保守的な国でしたので、夜の遊びであるサルサについては期待していなかったのですが、調べまくってようやく1軒だけ踊れる場所を見つけることができました。ただこちらはサルサクラブではなくダンススクールでした。
全く踊る機会が無いよりは、レッスンでも踊る機会があるだけよかろうと思い、3ヶ月のコースを受講することにしました。レッスンはドタキャンが多く、結局まともにレッスンが開かれたのはその3ヶ月の間の2、3回だけでした。ただ教えるときはちゃんと教えてくれる先生で、ステージ・パフォーマンスとしての見せ方などはいろいろと教わることができました。
ドタキャン以外にも一点困ったことがあり、クラブのない環境下でのダンススクールだったせいか、他の生徒が習い事として通っている中学生くらいの子供ばっかりだった時が何度かあったことです。そんな中に30過ぎのオジサンが紛れ込んでしまい、少し気まずい時間でした。
人脈という点では、現地で知り合った日本人が帰国後に、同じ業界の同じサルサの趣味を持つ人たちをいろいろな形で紹介してくれました。そういった紹介の際に、交流の場となるのが日本のサルサクラブです。海外の人脈が増えたというのとは違いますが、異国の地で同じ趣味でつながった絆が案外強いことを示す一例となるかと思います。
その他
カナダのモントリオール、アメリカのロスアンジェルス、韓国のソウルなどに行った際にも現地のサルサクラブに行きました。それぞれの都市で踊りは共通であり、毎回各都市でもサルサクラブに行けば楽しむことができます。踊らなければ知り合わないような人とも話せるのも楽しい点です。
カナダでは金属探知機まで使ってボディチェックなどされたのも、思い返してみると貴重な体験でした。なにせ空港以外で金属探知機を充てられた経験は後にも先にもその一回きりでしたので。
最後に
とりとめもなく体験談を語ってしまった感はありますが、Non-Verbalコミュニケーションの生み出す繋がりの力を私は感じています。地域コミュニティの形成に芸術が活用される例もあり、芸術の裾野がもっと広がればと思っています。
一方で、本国内のサルサ事情は厳しくなりつつあります。
かつてのブーム時ほどの勢いがないというだけでなく、国内のクラブは風営法とのからみで厳しい状況になりつつあります。法規制改正については友人、知人が中心となって活動しています。一つの文化、産業が不当に規制されないよう、診断士としてもしかるべき活動を行う必要を感じています。
サルサは人によっては始めて10分で踊れるようになります。海外出張が決まったら、サルサクラブがあるかチェックして、日本でも現地でもレッスンに参加されてみてはいかがでしょうか。
ご興味ある方は筆者と会う機会がありましたら、その際にお声がけください。