国際部 向井 実

Ⅰ.はじめに

本内容(本投稿)は、診断士の友人が毎朝銅像の写真とともに投稿しているFacebook投稿記事「銅像1000体」(注1)に僕がその銅像の人物についてコメントした内容をまとめたものです。古くは平安時代には短歌の上の句と下の句を2人が応答して読んだ「連歌(れんが)」、現代ではある歌に応答した歌「アンサーソング」といわれるらしいこの形式で書いてみました。

よって、本投稿は、僕自身が海外の様々な地域に住んで感じた視点、海外の友人の視点で日本の歴史や文化や常識が『どの様な景色』として映るのかをつらつらと語る、グローバルリアリティという形の全くの「私見」です。本記事の読者には、同世代の方や「海外通」の方が多いと思いますが、海外で体験したことやニュースなどを思い浮かべながら、「こういうことを思い出した」「そういう考えもある」などと感じながら読んでもらえるとありがたいです。

※人物については敬称を略しております。

※写真は著作権に配慮し、写真AC(フリー素材サイト)より掲載しておりますため、文章と完全に合致しないケースがあります。

Ⅱ.景色が変わる

1.日本から海外へ

(1)アニメーター、宮崎駿(みやざきはやお)

29193538_s『ルパン三世 カリオストロの城』、『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』、『紅の豚』、『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』、『ハウルの動く城』、『崖の上のポニョ』、『風立ちぬ』など数々の作品を輩出した日本が世界に誇るアニメーターである宮崎駿。(写真はイメージです)

『となりのトトロ』 僕にとって、サツキとメイは二人の娘(性格は逆ですが)、ネコバスは米国の黄色いスクールバス (サングラスのトムクルーズみたいなポリスに誘導されて、乗降車時には反対側車線も通行停止、最強のバスだ!)を思い出す。

しかし、野坂昭如の『火垂るの墓』と同時上映とは知りませんでした。僕は田舎育ちなので、映画は、父さん、姉さんとバスに乗って街の映画館まで。あの頃は、東宝3部作同時上映で、僕は「サンダ対ガイラ」、姉さんは「名もなく貧しく美しく」、父さんは「椿三十郎」みたいな感じ。子供ながらに大人の世界を覗き見ることが出来て満足(今はシネコン1作品で、入れ替え制だ)!

(2)魯迅(ろじん)

≪名言≫「自己満足しない人間の多くは、永遠に前進し、永遠に希望を持つ。」

398827_s

魯迅は、日清戦争(日本勝利で1985年下関講和条約、台湾割譲と多額の賠償金)後の1902年、官費留学生として近代化を担う人材として日本に留学。(写真は魯迅像)

医学を志したが文学の重要性を痛感。『狂人日記』、『阿Q正伝』等多くの小説,随筆,評論を発表,外国文学の翻訳,紹介にも努め,中国近代文学の祖となった。

『医学などは肝要でない。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった。(竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』)

1904年日露戦争、1911年辛亥革命(孫文による中国近代化運動で、中華民国成立)といった時代の波の中で、医学より文学と悟った。

ペシャワール会の中村哲医師がパキスタン、アフガニスタンで『医療より、清潔な水』に向ったのも現場から悟った。

2.世界から日本へ

(1)吉備真備(きびのまきび)

奈良時代の政治家、学者。 遣唐留学生、また、遣唐副使として二度にわたり入唐(18年間滞在)し、唐文化の輸入につとめ、その知識を政治に反映させていった。22649457_s

「日本の留学生で唐で名をなした者は、吉備真備と阿倍仲麻呂の二人のみ」と称された真備は、危険な航海を経て二度も入唐し、書道・兵法・天文・建築・囲碁・将棋(諸説あり)を日本に伝えた偉大な学者。『真備無くして、藤井聡太無し!!』

話は変わるが、2008年北京五輪に向けての、北京郊外での土地整備は凄かった。「中国の全ての土地は国家所有」なので、数ヶ月で土地確保、住民移動、道路整備が完成する。中国の伝統的な四角い様式の建築物である『四合院』が、あっという間に消えた。日本の環八は土地買収等で、全線開通まで半世紀かかった。(写真は吉備真備像)

(2)キリシタン大名、高山右近(たかやまうこん)

29393045_s

加賀藩主前田利家の家来として小田原の合戦に参戦し、金沢城の修築、高岡城築城、惣構の築造など金沢の町づくりにも大きく関わった。また茶の世界では千利休の弟子、「利休七哲」の一人に数えられている。(写真は吉備真備像)

1614年、徳川家康が「伴天連(バテレン)追放令」を発布し、伴天連の国外追放とともにキリシタンの右近もその対象となる。右近は、金沢から長崎まで旅を続け、長崎で国外に追放になり、フィリピンのマニラに送られ1615年に客死。

「伴天連追放令」 が発出された1614年当時、日本のキリシタンは20万,教会数200,イエズス会員は113名で22の教会施設を有していた。当時、日本の人口は1200万人程度だったとされているので、人口の2%がキリスト教徒だったことになる。

僕はキリスト教徒ではないが、米国の友人から「日本企業のグローバル展開は難しい。植民地経営での成功体験が無いので」と言われた。

≪米国植民地化の4C≫
1)Communication 通訳、交流
2)Christianity キリスト教布教
3)Commerce通商、貿易
4)Conquer征服、植民地化
→ハワイ王国は、この米国戦略通りのプロセスで併合(米国50番目の州)された。

ビジネスの世界にも、以下のものは軍事用語がルーツのものです。怖いですね。。
・Strategy戦略
・Tactics戦術
・Logistics 兵站
・Boot camp 新兵訓練

3.明治維新とイギリスの狙い

(1)島津 重豪(しまづ しげひで)

薩摩藩8代藩主。学問・ヨーロッパ文化に強い関心を寄せ、1771年には藩校造士館、演武館、明時館(天文館)、医学院を設立する。そして、これらの設立した学問所に通えるのは武士階級だけにとどめず、百姓・町人などにも教育の機会を与えた。

1787年家督を長男の斉宣に譲って隠居。老いてますます盛んな重豪は、曾孫の斉彬の才能を高く評価し、斉彬と共に蘭館医シーボルトと会見し、当時の西洋の情況を聞いたりしている。1833年に89歳という長寿をもって大往生を遂げた。(写真は孫の斉彬氏の銅像)22114274_s

1)反射炉の建設,ガス灯の製造等多くのヨーロッパ技術を研究し,軍事科学工業の発展に努力した島津斉彬、明治維新を成し遂げた西郷隆盛にも繋がる。

→企業創業も国家戦略も一代では不十分で、人材育成、風土醸成、拡大維持には3代かかる‼️

2)重豪は非常に頑健な人物で、80歳を越えても鹿児島から江戸、長崎と各地を東奔西走し、当時の侍医は「80歳だがなおも壮健。書を書くとき、読むときも眼鏡を必要とせず」とまで記している。また恐るべき酒豪だった。

→当時の寿命の2倍、2世代分を生きたことが、『事を成した』一要因。

(2)生麦事件、薩英戦争敗北と留学生

生麦事件とは、1862年に生麦村(現在の横浜市鶴見区)で発生した日本人による外国人殺傷事件です。 外国人を殺したのは薩摩藩の藩士、殺されたのはイギリス人。 イギリス人は薩摩藩主の父を主とする大名行列を馬に乗ったまま横切ったとして殺害された。その結果、薩英間に紛争が生じたが解決に至らず,1863年にイギリス艦隊7隻が鹿児島湾に出動し鹿児島を砲撃した。薩摩は、外国勢力を排斥する「攘夷」の無謀さを改めて悟ることになった。

薩摩藩は新納久脩、五代友厚、松木弘安の3人から成る外交使節団を、町田久成、森有礼ら15名の留学生と共にイギリスに派遣しました。松木は、ローレンス・オリファントを通じてイギリス外相のラッセル伯に雄藩連合政権樹立の構想を説き、その対日外交に影響を与えたといわれています。僕の私見だが、明治維新は、英国(薩摩)VS仏国(幕府)の日本支配(通商、外交)の代理戦争で、薩摩のクーデターを軍事面、資金面、人材育成面で支援した英国が勝利したと考えています。以降の日英同盟、日露戦争まで英国は見通していたのではないかと思えます。

4.お雇い外国人とは

(1)アルメイダ

イエズス会の宣教師、貿易商、医師。1557年に大分市に日本初の病院を建て、九州全域において医療活動を行うなど、西洋医学を日本に初めて取り入れた人物。その後に司祭に昇進し、天草修院長になり1583年没。

1543年鉄砲伝来、1549年キリスト教伝来と同時代ですね。

✳️ここで問題です。
ポルトガル語由来の日本語を以下から選んでみましょう!

1)キャラメル、2)パン、3)ビスケット、4)タバコ、5)ブランコ、6)ベランダ、7)トタン、8)コンパス、9)シャボン、10)おんぶ

→答えは末尾参照。(注2)

 

さて、明治の『お雇い外国人』とは、「殖産興業」と「富国強兵」を推し進める目的で、明治政府が破格の報酬で招聘。イギリス人4,353人(工部省)、フランス人1,578人(軍関係)、ドイツ人1,223人(医療関係)、アメリカ人1,213人(教師)他。有名な大学関係者だけでも、

* フレデリック・イーストレイク – 語学教育、慶應義塾教員(米)
* ラフカディオ・ハーン – 語学教育 『怪談』(英)
* エドワード・S・モース – 生物学、大森貝塚の発見(米)
* ハインリヒ・フォン・シーボルト – 考古学、大森貝塚の研究
* ウイリアム・スミス・クラーク – 札幌農学校(米)
* ハインリッヒ・エドムント・ナウマン – フォッサ・マグナの発見、ナウマンゾウ(独)

明治は、日本の後進性を認識、反省して、世界に学んだ時代。「鹿鳴館」みたいな行き過ぎた欧化政策もあったが、「鎖国政策、国粋主義、唯我独尊」からの思想・意識の脱却は凄い。お雇い外国人」の平均給料は、今の価値で3千万円。米人モースは「日本では給料の半分を貯金し、残り半分でも立派な生活ができる」とフェノロサを誘いました。

✳️ ここで、エスニックジョーク「タイタニック小話」です。
豪華客船が沈没しかかっており、乗客を海に飛び込ませなければなりません。船長が各国の人を飛び込ませるために放った言葉とは?

1)イギリス人には、「あなたは紳士でしょう」
2)アメリカ人には、「飛び込んだらヒーローです!」
3)ドイツ人には、「それがルールです」
4)イタリア人には、「美女が少し前に海に飛び込みました」
5)フランス人には、「海に飛び込むな」
6)日本人には、「皆さんそうしていますよ!」

今でもアメリカ人は2)、日本人は6)ですかね・・・

5.国防を考える

(1)林子平(はやし しへい)

林子平は、江戸時代の経世家。数度にわたり長崎に遊学。 オランダ人から海外事情を学び,ロシアの南下の情報をきき,『三国通覧図説』『海国兵談』を著し,「江戸の日本橋より唐・オランダまで,境なしの水路なり」と海防の急務を説きました。鎖国主義を守る幕府はいたずらに世間を惑わす行為としてこれを取り締まり、版木没収、出版中止、子平を処罰。蟄居中に自らを「六無斎」(「親も無し、妻無し、子無し、板木無し、金も無なけれど、死にたくも無し」)と名乗りました。

*7月4日独立記念日パレードの先頭車両には、民主主義を守る闘いで戦死した米軍の未亡人(黒いベール)が座ります。サンディエゴ空港着陸後、最初に降機するのは、中東から帰国した軍人と負傷者です。僕も、勝手が分からないまま機内でスタンディングオベーションをしました。

*米国は、自由と理想を求めた欧州からの移民の人工国家だが、懐が深い。
僕も、リバティ島にある「自由の女神」の王冠まで像内の梯子を登ったが、「自由、成功、庇護を求める者は、世界中から誰でもウェルカム」といったオーラを感じた。

→「自由の女神」の台座に刻まれた言葉!!
“Give me your tired, your poor,
Your huddled masses yearning to breathe free,
The wretched refuse of your teeming shore.
Send these, the homeless, tempest-tossed to me,

I lift my lamp beside the golden door!”

Emma Lazarus, 1883

『疲れ、貧しく、自由な空気も吸えない群衆、そして海辺に溢れかえる哀れな者たちを私に与えなさい、そして、家なき者、嵐に翻弄される者らを私のもとに送りなさい!私は黄金の扉の傍らで灯火を掲げている!』(本稿編集者による直訳)

*自衛隊員の友人(転勤が多い)の息子さんが、転校した小学校でいじめられた。
『お前のお父さんは、憲法違反なんだって。』
僕は、絶句した。

(2)自分が宿命的に『日本人、日本の風土』の一部

僕も、若い時には「世界市民、コスモポリタン」を目指したいと公言していた時期がありました。しかし、米国、シンガポールと海外で暮らしている間に、「自分が宿命的に『日本人、日本の風土』の、分かち難い一部である」と認識させられる事になりました。

日本は戦争を経験しています。様々な出来事を経て、今、この年齢になって、「国民、領土、主権のみならず、『文化や日本人の想い』も守っていかなければならない」という使命を感じています。

Ⅲ.さいごに

今回は、学校の教科書で学んだ日本の歴史や文化や常識が、見方を変えると『どの様な景色』として映るのかというグローバルリアリティをつらつらと随筆風に語りました。冒頭で説明した通り、本投稿は、日本にある「銅像1,000体」を毎朝休みなく紹介している友人のサイトへの当方コメントの抜粋です。ご興味があれば実際の投稿をご参照ください。

(注1)中小企業診断士小泉孝朗氏Facebook(https://www.facebook.com/takao.koizumi.52

記事参照には友達リクエストを承認頂くことが必要です。小泉氏ご本人の承諾は得ております(2024年4月17日現在)

(注2)8)コンパス以外のすべて(1)キャラメル、2)パン、3)ビスケット、4)タバコ、5)ブランコ、6)ベランダ、7)トタン、9)シャボン、10)おんぶ)

■向井 実(むかい みのる)

中央支部  国際部 部員
ビジネス英語研究会 会員
東京都協会 ワールドビジネス研究会(WBS)会員
研修事業分科会『中小企業海外展開支援講座』(WBM)会員

編集部より

記事のコンテンツ・情報について、できる限り正確な情報を提供するように努めておりますが、正確性や安全性を保証するものではありません。
情報が古くなっていることもございます。
記事に掲載された内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。