グローバル・ウインド インド洋の真珠と呼ばれるスリランカを訪ねて(2015年8月)
Global Wind (グローバル・ウインド)
インド洋の真珠と呼ばれるスリランカを訪ねて
スリランカはインドの南東、インド洋に浮かぶ面積65,000km2、人口2000万人強の国です。1948年にイギリスから独立した後に1983年から2009年まで内戦が勃発していましたが、ここ数年は政治も安定しており経済も7%を超える高い成長率を誇っています。
・スリランカの政治・経済
スリランカ最大都市コロンボ
スリランカは一人あたりGDPが3,558ドルと、私が住むベトナム(約2,000ドル)より多く、東南アジアで言うとインドネシアと同水準です。成長率もここ数年は6-8%で推移しています。主要産業は観光や農業となっていますが、現在は食品加工や繊維、金融等の分野が伸びています。
今後、東南アジアにおけるシンガポールのようにインドに対するアクセス拠点としての発展を志向しており、外国企業の誘致や港湾の開発が行われています。
スリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテの国会議事堂
首都はスリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテ。最大都市コロンボから10km離れた政治の中心で、1985年にコロンボから遷都しました。国会議事堂が人造湖の中心にあり、東岸には整備された遊歩道のある「ジャパン・スリランカフレンドシップ・ロード」となっています。
ジャパン・スリランカフレンドシップ・ロード
スリランカは重要外交4カ国を定めており、それが中国、インド、パキスタン、そして日本だそうです。中国とインドの2つの大国の中でバランスを取りつつ、同じ南アジアのパキスタンも重視していることはわかるのですが、旧宗主国の英国でもなく日本が重視されています。話を聞くと、日本はアジアにおける唯一の西側諸国であり、欧米へのゲートウェイとなり得るためということで、日本に対する期待を強く持っています。
・スリランカと日本との関係 サンフランシスコ講和会議
日本人には馴染みの薄いスリランカですが、スリランカ人にとって日本はとても身近な国。1953年のサンフランシスコ講和会議に参加したセイロン(当時)代表のジャヤワルダナさんの言葉「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」はあまりにも有名です。当時日本の分割統治案に傾いていた会議の雰囲気を一変させ、日本への賠償も放棄して、日本が独立国家として歩む一歩を作ってくれました。ジャヤワルダナ氏は首相、大統領を歴任し1996年に亡くなったのですが、自らの角膜を目の見えない者に移植することを望み、片目はスリランカ人に、片目は日本人に移植されました。いつまでも日本を見ていたいという想いがあったと言われています。
・コロンボの街を歩く
バンダラナイケ国際空港を出て車に乗ってまず驚いたのがとても綺麗な高速道路が整備されていて、運転マナーがしっかりしていること。街を歩いていても歩行者が歩いていれば横断歩道の前で停まり、車線変更時にも方向指示器を出すなど先進国並みの運転マナーです。道路にもゴミもなくとてもきれいでした。
鉄道も古い木造客車がとてもきれいな状態で運行されており、古いものを大事に使っていることがわかります。
普通列車の車内
歩いていると日本語で話しかけてくる人が意外と多いことに驚かされます。4日間の滞在で5人以上の日本語話者に出会いました。その中には、日本のバブル期に宝石を輸出していて日本全国を旅行した方や、鎌倉で買ったという大仏の置物を棚の中央に飾っている方などもいて、その誰もが日本に対してとても良い印象を持っていました。
経済発展率も高く、消費意欲の高い中流層の増えているスリランカですが日本の製品はあまり並んでいなかったのが印象的でした。内戦が終わったばかりということもありますが日本企業の進出はあまり多くはなく、スリランカ政府としても日本からの投資を誘致しているそうです。日本からはスリランカ航空の直行便で10時間と東南アジアに比べると距離の遠いスリランカですが、これからも注目していきたい国の一つになりました。
■三宅 秀晃(みやけ ひであき)
Spice Up Vietnam代表。グローバル人材育成事業を行いつつ、ベトナム情報ポータル「ベトナム生活・観光情報ナビ」を主宰。その他、現地パートナーとともに「サムライカフェサイゴン」をというカフェをホーチミン市内で運営するなどベトナムと日本を繋ぐ事業を複数行っている。2012年7月よりベトナム・ホーチミン市在住。
ベトナム生活・観光情報ナビ:http://vietnam-navi.info/
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